遊びをせんとや生まれけむ―室内遊び編2 カードがない場合(2歳4ヶ月~)
~カードがない場合~
前回の記事で息子とカード遊びの有効性と手先の不器用さに気付いた事をお話しさせていただきました。
そこで市販品に限らず『もっとピンポイントで教えてみてはどうかな?』と思い立ち、(絵を描くのは本当に苦手なんですけれど)画用紙にササっとイラスト的なものを描いて見せてみる事に。
最初は息子が考えていそうな事をその場でいくつか描くといったスタイルでした。
息子の脳内イメージを補助出来るといいなと思いつつ、当時興味のあった乗り物系のイラストを描いていました。
↑手持ちの乗り物カードにはなかった乗り物や、持っているけど特に好きな新幹線、あとは回転する部分があるものなんかを選んで描いていました。
↑数字が好きでしたのでとりあえず100までを網羅しておこうかと。あとは100単位で変化させてみたり1000や10000という数字を見せてみました。
こうした予測しやすい規則正しい変化は好きな様子でした。
↑以前発達検査を受けた際に、『何をする物でしょう?』といった質問が大好きだった様子がみられましたので類似問題を作ってみたんです。
この頃からクイズ問題が大好きな傾向があったのでしょうね。(最近ではTVのクイズ番組をかじりついて見ています。)
↑迷路風なイラストを描いてみると、指でなぞって遊んでいました。
ただ、この頃は通路は完全無視(笑)壁を突き抜けたりワープしたりと、マイルールで楽しんでいました。
(迷路を本格的に遊び始めたのは4歳前頃でしたので、まだ少し早かったかもしれませんネ。)
~魔法のツールの副作用~
そうしたイラスト遊びを通じて、私は絵の有効性に気付いてしまいました。。。
なので自然と↑この様に絵で指示をする事も増えてきました。
その頃は息子に会話で「お片付けしよう」と言っても全く通じなかったのですが、絵を見せるとピタっと遊ぶ手を止めて指示に従う様子があったのです。。。
当時の私、今となっては大変お恥ずかしい話なのですが
この自分にとって本当に楽で好都合なツールを多用しすぎました(^^;)
だって当時の感覚では
『一日が終わらない・・・』
『体がもたない・・・家事をする私がもう一人いれば・・・』
こんな事ばかり考えていましたので、全く言う事を聞かない息子がピタッと手を止めてくれる魔法のツールの副作用なんて何も考えずに多用し続けたんですね。
そうですね、結局幼稚園の年少さんまではイラストを使って指示を出していた様な記憶があります。
ただそれも4歳になる前には辞めてしまいました。
『反論の余地も与えない様なこんなツールの使い方はフェアじゃない、イラストの本当の使い方をしたい』と思ったからです。
それ以降はイラストはあくまでも私と息子の間で認識や予定・工程などを相互理解を深めるために描くようになりました。
それは『押し付けのイラストなんて楽しくないな』、と思える程に息子が成長したから、と言えるかもしれません。
そういった意味ではそれまでの成長を下支えしてくれたイラストによる指示という面もあながち悪い事ばかりではなかったのかもしれませんネ。
危険な事ややるべき事を的確に伝える上で、当時イラスト以上に即席で作れて効果があった手法はありませんでしたので。
ちなみに副作用とは、息子の場合ですが反論出来ずに溜まりに溜まった負の感情がその場ではなくてしばらく後に爆発する様な事でした。息子の癇癪の中にそうした感情を感じた事があったからです。
『もっと遊びたかったのに、どうして言う事ばかりきかなくちゃいけないの!?』と言葉で反論出来ないぶん、大癇癪を起こしていたのでしょう。
あーー、
コミュニケーションのはずなのに、
全然相互の意思疎通ではなかったのね。
私からの一方通行じゃダメね、ごめんね。
そう思ったからある程度の効果を認めた所で辞めたという経緯です。
~我が家で絵カードをあまり使わない理由~
上記の様な経緯もあり、実は我が家では絵カードはあまり使わないんです。
以前にあまりPECS(絵カードコミュニケーションの手法の一つ)などのお作法を全然理解しないままに自分の都合だけを考えて絵カードだけを導入した事があるのですが、一度に300枚程の概念や名詞や動作を示すカードを渡してみたら、一読して私に返却してきたんです。
さも『ありがとう!全部覚えたよ、楽しかった~』と、言葉では言い表しませんでしたがたくさんの知識を得られて嬉しかった様子でした。
だから「ま、いっか」と思っちゃいました。
楽しめたならいいかな、と。
もっと必要性を感じる様になった時に改めて正しい使い方を勉強してみよう、と思う様になりました。
そうして6歳を過ぎた頃、
小学校生活でもう少し言葉がスムーズに出ればと思い少し勉強して再導入しようかなと思ったのですが
「だって、みんなそんな事してないから使いたくない。」というのが息子なりの意思です。
ちょっと時すでに遅しな我が家の事情なのでした(^^;)
~遊びはあくまでも息子主導で~
話が未来に進み過ぎたので2歳半頃の話に戻しますが、
いくら息子の為になる、といっても本人がその気ではない時にこちらの遊びを無理強いしない様に気を付けました。
あくまでも遊びのネタを提供する程度の感覚でカードやイラストを見せ、乗り気ならカード遊び、そうでない場合は息子が遊んでいる中に少しづつ入っていく様にしていきました。
同じ空間に入れるだけでもOK、そのうち少しづつ
「何して遊んでるのかな?車、カッコいいね~」なんて共感していくだけでしたがそれが飽きると
『一緒に遊ぼう』とでも言う様に自分からカードを持ってきたりする様になり、少しづつ息子のペースで進めていきました。のんびりでも少しづつ息子が何かを吸収していくのを感じていたからです。
それにこんなエピソードもありました。
上記の指示を伝えるイラストの左下の部分の事です。
当時はカエルのゴミ箱をおままごと用の野菜や果物入れとして使っていたんです。
ですからままごと遊びの後に片付けの指示としてこのイラストを見せていたのですが、いつの間にかカエルの口にパクパクと入れる様子が楽しくなってしまい、いつの間にかそれ自体が遊びになってしまった事がありました。
「いつまでも片付かないでしょ!」と怒るよりも
「あはは、パクパクもぐもぐおいしそうネ。『もっとちょーだい』って言ってるョ。」と終わらない片付けを一緒に楽しむ方がずっと有益な楽しい時間。
いつかもっとやり取りを楽しめる日が来るだろうと子どもの成長を信じ、こうしたのんびりな時間を楽しむ様にしていました。
遊びをせんとや生まれけむ―室内遊び編1 カード遊びと不器用さ(2歳4ヶ月~)
※夏休みで更新が滞っております<(_ _)>
という訳で久々のUPなのですが今回はかなり長文になり、写真も多めになります(^^;)分割しようかとも思ったのですが、カードを使った遊びについてひとまとめにご説明したいので長文で残させて頂きます。予めご了承いただけると幸いです。
~カード = 区切られた領域~
前回の記事で息子がパソコンの壁紙に興味を持った話をさせていただきました。そこから発展した遊びをご紹介させて下さい。
当時息子が普段遊んでいた部屋での遊びって、いつも同じでごくごく単調なものでした。
本人にとっては
『どこでどんな遊びをして良いのかよくわからないなぁ・・・?』
といった思いもあったのかもしれません。
ですから一人で遊ばせていたってあまり遊び方が発展しませんでした。
かといってこちらから遊びに誘ったとしても、(遊びの意図がわからなかったのだろうと思いますが)こちらの誘う遊びはあまりやりたがりませんでした。
本人がよく好んでする遊びといえばただただミニカーや電車のおもちゃを寝そべってはタイヤを覗き込みながら延々と手転がしするだけ・・・という事が非常に多かったです。
そんな中、写真にとても良く反応していた様子が見られましたので、息子が好きそうなカードをいくつか探して与えてみました。
カードの世界観って、小さな1枚の中で全てが完結しているのがわかりやすかったのかな?と思いますが、それ以来ソファーであろと床であろうと場所を問わず集中して遊ぶ様子がみられました。
カードって、余計な情報は見ないで済みますよね。そこにはバスならバスだけ、電車なら電車だけしか載せていない事が多いからです。
絵本等にも通じる事ですが、この空間の区切りが息子の理解を助けてくれたのだと思います。
こうした経験から息子にはカード等を使った遊びが有効なのでは?と気付き、実際に遊びに取り入れていきましたので下記に記録させて下さい。
~実際に取り組んだカード遊び~
(1)絵合わせカード
まずは市販の乗り物絵合わせカードです。
大好きな乗り物に関するカードだったので、無理矢理誘わなくてもすぐに飛びついてくれました。
手先に不器用さがあり2枚をうまく合わせる事が難しかったのですが、このカードを毎日触れていくうちに少しづつ上手に出来る様になっていきました。
又、裏表もバラバラにシャッフルしてしまうので探し物の要素も加わり、「ヒントはこの辺りだよ」といった私とのやり取りも自然に出てきました。
裏面に日本語と英語の両方の表記があったのも息子が興味を持つきっかけになった様でした。
(2)文字カード
こちらは手作りの五十音カードです。
当時カタカナを勝手に覚えてしまった頃で、ひらがな・カタカナが息子のマイブームでした。
『これもカード遊びに取り入れちゃえ』と、手書きで厚紙に。表面はひらがな、裏面はカタカナです。
これもシャッフルして並び替えたり、お気に入りの文字だけ集めたり、文字をつなげて”くるま”と単語を作ってみたり。
こうした遊びがきっかけで、この後文字をつなげて遊ぶ”単語遊び”へと発展していった様に思います。
文字カードをつなげていく事が
・文字→単語
・単語→文
こうした事を視覚的なイメージの助けになったのかしら?と思います。
(3)電車カード
こちらは本物の電車とそのおもちゃの電車、裏表に両方の写真や情報が書かれたカードでした。*1
遊び方としては、本物の写真を見て名前を当てたり、ディーゼルやパンタグラフといった特徴からどんな地域を走る電車なのかを考えたり、寝台特急や貨物列車の特徴を言い合いって遊んでいました。
残念ながらもうカード情報が随分前のものになってしまい、当時とは電車の名前が変わったり、廃止になったり、そして本人の興味の移り変わりなどもあり2年程前からあまり使わなくなってきました。でもこれはきっと大人になっても好きだと思いますので今でも大切に保管してあります。
(4)世界の名画かるた
これは私が好きで買っていたカードでしたが、気付けば息子が勝手に見つけ出して遊んでいました(笑)
名画の取り札と文字ばかりの読み札の2種類で1セット。最初は専ら大好きな絵ばかりを自分で集めて眺めているだけでしたが、5歳頃には読み札側も使って遊んでいました。
ちなみに息子が好きな絵はマネ、フェルメール、クレー等と今も当時とあまり変わっていない様です。
(5)魚探し・動物探し
今から思えば・・・まめに手作りしていたんだなぁ改めて思いますが(^^;)当時息子の興味にぴったりのカードというのも市販品ではなかなかみつからなくて、色々考えた結果が↓こちらの手作りボードでした。
※↑ごめんなさい、画像が漏れていた様なので後日再UPしました。
当時息子が大好きだったものといえば”魚”でした。
特にサメや深海魚が好きでしたね。
ですが当時は魚カードは探したのですが見つからなくて、結局こうした熱帯魚系のシールを手にしてみました。
『どうかな・・・?』と試しに厚紙に貼り付けて「モンガラカワハギみたいなお魚がいるね、どれかわかる?」と探し物ゲームらしき事をしてみると、息子もそれなりに楽しんでおりました。
これが後々探し物系の絵本を読み漁るきっかけになった様にも思いますが、情報が込み合う中で目当ての物を探す遊びが好きな様子がわかりました。
そして更にこの遊びで息子に関して良く分かった事がもう一つありました。
息子は・・・シール貼りがとんでもなく苦手だったのです(笑)
今でも思い出すと笑えてくるのですが、貼ろうとすると手先がプルプル震えてしまっていました(^^;)
それに見るポイントがどこかわからなかったのか、目線は自分の指先をとらえていませんでした。
『あー、、、そうか、、、この不器用さが色々な発達を阻害する一因なんだろうなぁ。』と薄っすらと理解したものでした。
~不器用さを何とかしないと・・・~
息子にとってシール貼りは不器用さと苦手な感覚(シールのベタベタ感)の2つの困難が伴う物でしたが、ベタベタは糊や砂に比べてまだ我慢出来る感覚らしく何とかこの場は頑張ってくれました。(結局幼稚園でかなりシール貼りをさせていただいたおかげで今では本人も楽しくシールを貼れる様になっています。)
しかし。。。
不器用さは何もシール貼りだけではなかったのです。
このカード遊びの取り組みの少し前、ちょうど2歳3ヶ月の頃にプレの先生方が熱心にご指導下さったおかげでようやくスプーンの自立が出来たのでしたが、それも今から思えばこの不器用さ故の遅れだったと思います。
私が努力して自立させる事が出来なかった事がショックだった事や、プレの先生方にお手間をとらせて申し訳ない気持ちが日に日に大きくなり、『よし、この際だから息子の不器用に正面から向き合おう』と心に決めたのでした。
そんな思いから改めて息子の不器用さを観察すると、ある2点に気付きました。
(1)手先の動きそのものに弱さがある
(2)目線の動きに弱さがある
こうした事から今後は、
『手先の微細運動や動かし方そのものの訓練』
&
『手と目の連動を意識した遊び』(→手と目の協調運動と言われる事が多いかと思います)
これらを意識して取り入れていこうと思いました。
※目の動きは、以前の記事(感覚過敏・鈍麻への試み 目・視覚 分析編)で書きました通り、対象物の輪郭を先に見てしまう事が大きく関連している様に思われました。ですのでこの後不器用さやコミュニケーション力の改善の為に輪郭→対象物の中央を見られる様に促していきたいな・・・と思う様になりました。
カードを用いた遊びについてのご紹介は以上です。次回はカードがない場合などに手書きのイラストを用いて遊んだ事などを記録させて下さい。
*1:息子がごくごく幼い頃、一番最初に大好きになった物が”乗り物”でした。
ですのでこうした情報を与えるとあっという間に丸暗記してしまう驚異の記憶力に驚かされたものでした。
それがいつしか
乗り物
↓
文字、数字
↓
魚
↓
天体
↓
恐竜
↓
動物
と徐々に生物の方へと興味が移ろいでいく様子を傍で見ているのもなかなか楽しいもので、子どもと一緒にいろんな事が学べて毎日刺激をもらっています。
ちなみにこの春以降に息子が興味を持ったのは何故か猿人や人類の進化の様子でした(笑)
中でも一番のお気に入りはアファール猿人だとかアウストラロピテクス・アファレンシスだそうです(^^;)
遊びをせんとや生まれけむ―写真を使った共感(2歳4ヶ月~)
息子が2歳過ぎの頃から、感覚の過敏さや発達の凸凹に合わせた家庭内療育的な事を模索し始めました。
今回からはそういった取り組みの内容を記録させて下さい。
(※「ウチではこんな事をしてました」といったご紹介文になります。発達の様子によっては全く参考にならない事もたくさんあるかと思います。どうぞご了承下さいませ。)
~暑い夏 水遊び中心の毎日~
水遊びといえば、最初は雨に濡れるのもシャワーが顔にかかるのも嫌がる子でした。
ですので1歳代はあまりやりませんでした。
ですが↓過去記事で書きました通り、
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
何となくプールやお風呂に入っている間の方がイキイキと笑顔も多く、相手の話もきちんと聞ける様子もありましたので積極的に取り入れていきました。
インターナショナルスクールに通いつつ、プレの無い日は朝からお弁当+おやつを作って、夕方まで遊んで車で昼寝して帰るという毎日。
相当ハードなはずなのに本人は疲れ知らずで楽しそうでした。(私は家事は完全に放置していました(笑))
~パソコンの壁紙に魅了される~
そうなんです。
こんな生活に付き合っていたら流石に家事をする時間も体力もありませんでした。
それでも水着の洗濯と晩御飯のカレーを作る時間だけはどうしても必要でしたので、その間息子は時間を持て余していました。
文字は読めるけれど、自分ひとりでは絵本は読みませんでした。
元来あまり一人遊びをせず、いつも私と遊びたがりました。(といっても一方的な遊び方で、この頃はあまり意思のやり取りはありませんでしたネ^_^;)
でですね、放置をすると恐ろしい癇癪が始まる訳です。
ギャーーーーーーーーーーーっと、泣き始めると治めるのに数時間なんて事もめずらしくありませんでした。
ですからほんの少し、夕刻~夜の20~30分程座って子どもが気に入る何かを探していました。*1
すると、ふとパソコンを起動させた時に壁紙が目に飛び込んで来ました。
Windowsの壁紙でした。
それは当時Windowsの公式サイトからダウンロード出来た壁紙で、美しい写真の物が多く時折新しいテーマをダウンロードして使っていました。
そうした壁紙の中のイルカの愛らしく生き生きした表情に息子は目を奪われていました。
それから私の膝にのって1時間以上(何時間でも見飽きない様子で)他のテーマも見せて?と指差しで要求しては様々な絶景を見る日々でした。
「これはザ・ウェーブだよ」とか
「間欠泉かな?」とか
「お魚さんだね、カクレクマノミかな?」等と声かけをしながら10秒程で切り替わる様に設定して次々に見せていきました。
「船があるね、探してみて?」
「トラックあるよ!」なんて探し物の要素も取り入れながら丁度フラッシュカードの様な感覚で見せていきました。
こうした絶景に息を呑む・・・
夫も同じタイプでしたので、『親子だな~』と妙に納得した記憶があります(笑)
息子はいわゆる視覚優位と言われるタイプです。だからこうした絶景や美しい写真に感動している様子が傍で見ていてすぐにわかりました。
そして驚く事に絵を見せながら声掛けをしていくと、そうした概念や単語もすぐに吸収してしまいました。
何より一番感じた事は、私と一緒に美しさを共感する事が情緒面に大きく作用していると感じられました。
これまでは子どもの遊びにあまりうまく共感してやれない事も多かったのですが*2この一件で共感する大切さを痛感しました。
又、絵カード等区切られた空間を利用すると概念を理解しやすい事に気付き、美しい絵や写真をたくさん利用して伸ばしていきたいなと考える様になりました。
*1:夜分なのであまり騒ぐとご近所に迷惑がかかりますし、寝る前なのであまり興奮させず沈静化していける様な何か、という条件で探しました。
*2:普段はおもちゃの車や電車の車輪を覗き込みながらずーっと手転がししている事が多く、それの何が楽しいのか私にはさっぱり理解してやれなかったのです。
例えば
「タイヤ、回ってるね~。」と声掛けするとチラッとこちらを見るのですが、表情からは『うるさいな~』程度にしか思われていない様な気がしてあまり声掛け出来ずにただ見守っていました。
本当はこのチラッとこちらを見るがとても大事で、本当は心の中ではとても喜んでいたんだと思います。それをうまく表現出来ないのも一つのハンデなのかもしれません。
ですから今なら「美しく転がっているね。」とか「六輪で動くなんてパワーが出そうだね。」と共感の言葉を投げてやれそうなのですが、当時の私はまだまだ未熟でした(笑)
こうした声掛けを通じて目やノンバーバルコミュニケーションでもいいので少しづつコミュニケーションが広げていく事が大事なのだと思いますが、当時はまだ私の勉強も理解も不足していました。
お子さんが長時間没頭する遊びは、その子にとってはとても興味の大きい事だったりしますので、その中に必ず成長の手がかりはあると考えています。よかったらじっと観察してみて下さい。
感覚過敏・鈍麻への試み まとめ編(2歳4ヶ月~)
~あれ?嗅覚は?~
全身の感覚のという事でお話しを進めさせていただいたこの『感覚過敏・鈍麻への試み』シリーズもいよいよ最終となりました。
それでタイトル通り嗅覚に関する過敏さ/鈍麻さですが・・・
実はうちの子に関しましては今のところどちらもみられません。
嗅覚に過敏さがあると、例えば
・洗濯物の香りが大好きすぎる、とか
・魚の生臭さが耐えられない
なんてエピソードをお聞きします。
確かにもしかすると鈍麻さはあるのかもしれませんが、(他人からは非常にわかりづらいという事もあるかもしれません)今のところ生活に支障がない為、対応していない訳なんです。
うちの子、2歳頃から副鼻腔炎という鼻のトラブル持ちですので、もしかすると成長して副鼻腔炎が落ち着いた頃に嗅覚の過敏さが出てきたら・・・その時にまた考えたいと思います。
~大事な2つの覚については・・・~
感覚過敏や鈍麻を考える際に、五感以外にも実はあと2つ、大事な感覚の事を知っておくと良いかも?と思う事がありました。
・固有受容覚(ボディイメージに関する感覚など)
・前庭感覚(ぐるぐる回転や傾斜を感じる感覚など)
ざっくりした説明ですみません(^^;)
息子が2歳半当時、五感以外のこうした感覚について、私はまったくの無知だったんです。
もし当時理解していればこの後展開していく遊びにもどんどん取り入れていったと思うのですが、そうした感覚への理解は息子が成長するに伴い少し関連書籍などを読める様になってからの事でした。
こうした感覚を大切に育んでいく事もとても大事だと後々気付く事になりますので、もし今からいろいろやってみようと思われる方がいたらと思い、少し書かせて頂きました。
~数年経過しましたが~
結局、聴覚と口腔内の触覚に関してはまだまだ厳しいままですが、視覚や口腔内以外の体の触覚に関してはずいぶん緩んだ様にも思います。
療育やこうした家庭でも取り組みが良かった、というだけではなく、もちろん自然な成長による所も大きいと思います。
一進一退の様なゆるやかな進捗で、まだまだ継続した努力が必要な事には変わりありませんが、当時に比べて格段周囲も本人も楽になった様に思います。
では、次回からは遊びを通じて伸ばしていこうとした試みを記録させて下さい。
(↓ 1歳4ヶ月頃の水遊びの様子です。ご近所にあった水遊び場に初めて水着で入った頃の写真だったかなと思うんですが、かなり恐る恐る水に入っていた様子が良くわかります。普段は「ママ、バイバ~イ」な子が必死に指を掴んで放しませんでした(笑)好きだけど怖い、怖いけどやっぱり入ってみたい、そんな葛藤を乗り越えた写真ですので記念に残させて下さいね。)
感覚過敏・鈍麻への試み 皮膚 後編(2歳4ヶ月~)
~ボディイメージの強化~
さて、皮膚の過敏/鈍麻さへの模索の続きです。
『感覚に訴求する事って・・・他に何かあるかな・・・?』
毛布が意外に効いたので他にも探してみました。
そういえば息子はスパッツやレギンスといった、くるぶしまでのタイツの様なぴったりとした物が大好きだと思い当たりました。
それに偶然かもしれませんが、、、
スパッツの時は何となく指示が通りやすい気がするのです(^^;)何となくですョ
この現象って・・・よく発達障がいの方は全身のパーツの感覚がわからない、とお聞きしますがその表れなんじゃないかな?と思うんです。
そうそう、確か
『自閉っ子、こういう風にできてます!』(著作:ニキリンコさん、藤家寛子さん 出版:花風社)
の中で発達障がいの方が自分の体を動かす場合は意識して脳から指令を出して動かしているといった事をおっしゃっていたかと思います。
つまり、
全身のボディパーツの感覚の希薄さ≒ボディイメージの弱さ
といった事なのかな?と理解したのですが、うちの息子も似たような部分があって、ちょうどその弱さをスパッツが補ってくれているのでは?と思いました。
↑こんな風に圧がかかると自分の境界線がはっきり感じられるのかな?と思ったのです。
私が息子を見て感じた事ですので正しい事かどうかはわかりませんが、息子の場合、背中や後頭部、足の裏といった自分の目で見えない部分や頭から遠く離れた脚などの感覚を掴み取るのが苦手な様でした。
それがこうした補助によってボディイメージがはっきり掴めると、体が自由に動く感覚がするのかな?と思うんです。
思いのままに動く、というより腕や足が動いている感覚が上手く掴み取れると、自分の動作に不安を感じなくても済みますし、そうした無駄な気を使わなくて良くなる分、他の事に集中できるという事なのかなと思います。
『ママの言っている事がきちんと耳に入ってくるョ。』
『何となく今日は体が動きやすいョ。』
スパッツを履くとそんな前向きな気持ちにさせてくれる様な気がしていました。
そしてこうした体が自由に動く喜びに気付いていく事は、息子が苦手だったダンスやお遊戯といった模倣が必要な全身運動へも興味を持たせてくれる様になりました。
子どもには多かれ少なかれ自分の体を動かす喜びがある様に思うのですが、息子もこうした事を経て徐々にそうした喜びを表現する事を覚えていきました。
~水は全身の境界線をはっきりと感じさせてくれる~
わざと水道の水を流しっぱなしで手のひらに水圧を当てて楽しんだり、お風呂の中だと驚くほどの記憶力を発揮したり、プールが大好きだったり。
思えば随分前から息子はこうした特徴を示してくれていたのでした。
考えてみれば確かに水に浸かって水圧が全身にかかると、普段より自分の体をはっきりと感じる事が出来ますね。
この事に気付いてからは、夏の暑い日は積極的に水遊びを取り入れたり、3歳後半からはスイミングも習い始めてみたりなど、日々の中に水との触れ合いを持つようにしています。*1
そうそう、水といえばじゃあシャワーはどうかと申しますと、シャワーはどちらかと言えば最初は嫌いでした。
一部だけ濡れる感覚や、粒が当たる痛さが嫌なのでしょうね(^^;)
それも少しづつ弱めのシャワーから慣れさせていき、いつの間にか楽しさの方が勝った様です。
水圧は好きだけど、濡れる感覚過敏とはまた別問題らしく、水泳でも泳いだり背中に水圧を受ける事は大好きだけど、頭をつけて潜るのは非常に嫌がるという難儀な状態(笑)まだもう少し時間がかかりそうです。
~過敏><鈍麻~
乳幼児の頃は抱っこを毛嫌いした息子でしたが、3~4歳の頃にはどんな抱っこ(前向き、カンガルー抱っこ等)でも大丈夫になりました。小学生になった今はさすがに20kgを長時間抱っこするのは難しいですが、相撲ごっこなんかで持ち上げてやると楽しそうに喜んでいます。あんなに嫌がっていた頃が嘘みたいですネ。
当時こうした皮膚の過敏さについて誰かに話す時、たとえ話として
「息子は皮膚の一枚分を私のお腹の中に忘れてきたかの様です。」と例えておりましたが、今はずいぶん過敏さが薄らぎました。(むしろ鈍麻の方がまだ残っているかも?)
学校で誰かと不意に接触したり、手をつながなくてはいけない場面ではまだまだ厳しい様ですが*2、素材さえ気を付けてやればタートルネックの服も着れますし、タグもあまり気にしなくなってきました。
あ、一つだけ。
あるあるですが、そういえば靴下は・・・おそらく一生嫌がるカモ(笑)しれません。学校から帰るとすぐに脱いでしまいます(^^;)
そうですね、例えば”指先の過敏さ”については、今後の園や学校生活の事を考えて
・爪切りを少しづつこまめに丁寧に繰り返す事で慣れてもらう
・指先に何かが当たる感覚を砂場の砂の代わりに”お米をカップで計量”して、粒の感覚を覚える
・糊の感覚になれる為にスライム遊びをとりいれる
などに取り組んできました。
しかしまぁ、靴下やそれ以外の事については生活にあまり支障が無ければこれ以上無理をしてまでは過敏さや鈍麻さに対してアプローチをしていく必要はないかなと考えています。
不快な感覚は出来れば幼い間に改善してあげられる方が、その後の長い人生において少しでもQOLの向上が見込めるとは思うのですが、、、まぁ、これまで随分頑張った気もしますので今は少し落ち着いて見守っている所です。
*1:スイミングを習い始めた最初の日の帰りに、生まれて初めて「お腹が減った、何か食べたい」と息子が言ってきた事が今でもとても印象に残っています。水から出ると自分の体内のステータス変化がはっきりとわかった様子でした。改めて水圧の効果を感じた一件でした。
*2:そういえば2歳過ぎた当時、実はまだスプーンの自立が出来ていなくて大変困っていたのです。というのも持ち方の練習をする際に息子の手を握ると極端に嫌がって手を取って教える事が困難だったからです。
それでもプレの先生が何とかスプーンの持ち方を教えて下さり、2歳3ヶ月でようやく自立したのでした。
内心『先生ごめんなさい、本当に感謝します。そして以降は出来るだけ家庭で色々な自立に向けて積極的に取り組んで行くようにしますね。』と心に誓った事がありました。