ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

言葉のかけ方を変えました 2 (2歳9ヶ月~)

※前回からの続きです。

 

~○○しませんョ~

そうして、今度はより私らしい声掛けへと変えていきました。
「~しよっか(=しようか)。」
これは「~しましょう」と促す時ですが、教科書どおりだと自分の言葉に淀みを感じていましたので少し語尾等を変化させていきました。

これだけで息子が何となくイキイキと元気で活発な内面が引き出せた様に変わった気がします。

「○○しませんョ、それはしませんよ。」
普通「○○しません」ではなく、ではどうすれば良いのかを提示する場面ですが、どうしても多動で落ち着きがない時にさっと軽く否定する言葉として重苦しくではなくさらりと軽く使える様に語尾を柔らかく変化させて使いました。
(「○○しませんョ~」と言うと、「えへへへ~」と少しニヤけたバツの悪そうな表情で問題行動を辞める様になっていきました。私はこうした「えへへへ~」を待っていた様に思います。)

こうした配慮をしだした頃、息子は何となく表情意外の感情表現に気付き始めたからです。
声のトーンでも感情が表現出来る事をはっきりと理解し始めたのです。

ですのでちょっとした語尾の変化で、息子は『怒られている訳ではない』と理解し、こちらの話を聞き入れる姿を見せてくれていました。

 

~××しないと□□になるよ→予測の有効性~

対応方法がまだわからなかった頃、急かせるとパニックにはなるけど、指示した通りに動く事に気付きました。

「早くしなくちゃ!間に合わないよ!」

と言うと何故か血相を変えて急ぐのです。
好ましくない未来の事を示していると理解している様でした。

こうした事から予想される事態や未来の提示が有効である事に気付き始めました。

まずは少し先の予定(比較的近い未来)の提示を。
想定される最悪の事態息子にとって嫌な未来の提示から始めました。

「20分に出発しないと、バス行ってしまうよ。」

と嫌な未来を提示した後、

「15分に出発すると、バスに間に合うよ!」

と息子にとって好ましい未来を必ず提示する様にしていきました。

今の行動の結果が未来になる、

つまり
未来は今の行動によって変える事が出来る事を伝えたかったのです。

脅している様にも聞こえると思います。
でも嫌な未来の提示の時は出来るだけサラっと、嫌味や悪意なく。
あくまで息子の想像力を言葉で少し補うだけの気持ちです。

こうして予測や予感、未来の提示を利用していきました。

 

~『①、②、③』方式~

言葉のかけ方というよりも、物事の整理の仕方、考え方として
『①、②、③』と順次的に作業していく練習をしていきました。

最初は①、②、③程度から、次第に①~⑤、①~⑩の様に増やしても大丈夫になりました。

①ごはん
②着替え
③歯磨き
④トイレ
⑤靴下、靴をはく
(時にはホワイトボード等の視覚的な支援を使ったりする事で脳の中でイメージしやすい方法を活用しました。)

こうして何かをする時は、順番に整理して作業していく事や手順通りに行う事で好ましい結果に繋がる事を息子は理解していきました。

最近は例えば、順番が違えば違う結果になる時もある事も伝えています。
今ではホワイトボードを使う事はほとんどありませんが、それでも難しい顔をしている時は利用しています。

言葉のかけ方を一つ変えるだけで、息子が少しづつ、でもこうして確認すると非常に大きく成長した事が改めてわかります。

言葉のかけ方を変えました 1(2歳4ヶ月~)

発達障がいや自閉症について勉強をしていると、
”回りくどい言い方は理解が難しい”とか、
”『耳にタコが出来る』といった慣用句への理解が難しい”といった説明が出てきました。

こうした点も指示が通りにくい原因だったり、日本語に対する混乱に繋がるのかも・・・と思い、私自身の言葉のかけ方を変えていく事にしました。

 

~最初はお手本通り~

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

↑の過去記事にも書きました通り、「~~はダメ」という言い方は出来るだけ避ける様にしていきました。

「○○しましょう。」や
「くつ、はきます。」
(単語に区切り、助詞は少なめ。)
まずはこういった言い方を使い慣れる事から。

これがまた難しかった・・・。
いかに今まで否定的な言い方しかしてこなかったのかを痛感しました(笑)
例えばご飯中に遊び始めたら
「今はごはん中。遊んじゃダメ。」⇔「ごはん食べましょう。食べ終わったら遊びましょう。」
と言い換えれば良いのですが、とっさに思い浮かばない事もしばしば。

というのも息子の多動性が結構響いていました。
ちょろちょろ、っと動いてしまうので焦って声を掛けてしまっていたからです。

繰り返し繰り返し、定型文の様に使い込んでいく事で私も息子も慣れていった感じでした。

 

それでもどうしてもなかなか指示が通りにくい時や聞いてくれない時は英語で声掛けをしていました。
(周囲がざわついている時など、聞きたくても聞けない状態の場合は周波数が違うと言われる英語を使うと一度の声掛けで大体聞いてくれていましたね(^_^;))

 

 

~優等生の様に動く息子・・・~

声掛けの方法を変えはじめてから、息子は私の言う事が理解しやすくなった様子がわかりました。
声掛けの方法を変えると共に、口調も非常に穏やかな、あまりトーンを上げ下げしないアナウンサーの様な口調を目指した事もあってか、息子の気性も落ち着いたものに変化したのです。

しかし、確かに穏やかなこうした声掛けの有効性を感じつつも、
反対に何かを置き忘れてしまった様な・・・何とも言えない感覚を覚え始めました。

 

『私の聞いて欲しい事は聞いてくれている。
でも私の意志しか通していない気が・・・。
私は息子の気持ちを汲みいれられているのだろうか?

 

そんな疑問を持ち始めました。

 

これでは互いの気持ちを伝え合っていない。
この方法は・・・最終的に目指しているコミュニケーションのあり方ではないと気付いたのです。

 

 

~息子の良さと私らしさのバランス~

こうした変化の中で、私はどこかで息子の反論を期待していました。

声掛けの方法を変えるまでは何事にもずっと反抗しているかの様に見えた強い癇癪や強い要求も、声のかけ方を変えて以来あまり見せなくなっていったからです。

 

普通なら、これで事態は好転したと思うと思います。

しかし私には何か物足りなさと言いますか・・・上手く申し上げられないのですが違和感を拭いきれないでおりました。まだ言葉の発達が遅れているのだから、心の内面にある要求を言葉に変換する事は息子には難しい事も承知の上で、それでも私は何らかのレスポンスが欲しかったのです。

 

そこで一つ、やはりアナウンサーの様な口調が、息子の話す気持ちを重く静かな気持ちに変えているのかもしれない、という推測を立てました。

それから、息子の頭の中は当時も今も(想像ではありますが)白いモヤがかかった状態に似ているのではないかな?と思います。
知っている言葉や概念は着実に増えても、それが必要な状況に応じて適切に使えるのとは別。モヤのかかった頭の中から、適切な言葉を探していく作業をしながら話しているなら時間がかかっても当然だと思いました。

モヤの霧を晴らしていく、つまり適切な語を取り出していく感覚は内部感覚の掴み取りと同じ。

息子との会話に出来るだけ時間的なゆとりを持ち、言葉以外の何らかの反応も少しでも広い代弁していく作業を少しづつ少しづつ繰り返していきました。
こういった事をゆっくり何度も繰り返し練習していけばそのうち適切な言葉をうまく取り出せる様になると信じました。

 

~言葉を試し始める~

ゆっくり、非常にゆっくりではありましたが少しづつ色々な言葉を口にする様になり、息子自身も言葉を試しながら話している様子を見せ始めました。

そうして言葉を使う事に少し慣れ始めたな、と思う様になった頃、私はアナウンサー口調は辞めました。

今までどおり、それ以上にトーンをはっきりと、言葉や声色でも人は感情を伝える事がある事を少しづつ教えていく為です。

 

するとやはり息子の要求や反応が戻ってきました。
ただ戻ってきただけでなく、出来る範囲からでしたが言葉で気持ちを表す様に変化してきました。

コップを持ちたいときは
「持つ。」
コップを持って欲しい時も
「持つ。」
同じ言葉を使っていたのが印象的でした(笑)

 

でもそのうち、その言葉に主語をつけはじめました。

「○○(=自分の名前)、持つ。」
「ママ、持つ。」

本当に少しづつでしたがこうして言葉という道具を使いはじめたのです。
(私が言葉の使い方を変えたという主旨の話なのに、息子の言葉の使い方の変遷に摩り替わってすみません、でも驚きがありましたので記録させていただきます。)

多分全くの推測ですが、ゆっくりと単語で話す事でより多くの言葉の使い方を獲得していったのかな?と思います。


※それまでも単語量などは増えていて、単語を並べた様な使い方等はしていたのですが、”持つ”や”取る”といった活用する語はきっと難しかったのだろうと思います。実はそれまではあまり使う事がありませんでした。もしかすると高機能のお子さんなんかには早めに文法のルールを視覚化して教えてあげるとその後の生活がグンと楽になるかもしれない、なんて思います。

 

 

※長文になりましたので後編へ続きます。

パパの理解(2歳9ヶ月~3歳)

以前のブログでこの記事を書いた日、
夫は息子をミニカー専門店へ連れ出してくれた事がありました。

私も行きたかったけど、家事もありましたので夫に任せました。
思い起こせばまだ当時は指示も通りにくく危険な行動もまだまだ沢山あったのに、夫は私の事を気遣って私に息抜きの時間をくれたのでした。

息子はパパと大好きなバスや電車に乗ってそのお店に行ける事が嬉しくて元気に飛び出して行きました。

 

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(運転士さんのご迷惑になりそう・・・といつも思うのですが先頭車両へ行ってしまいます(^_^;)陣取ってすみません、景色やレールが見られるので大好きな様です。)

 


でもパパと息子の関係は最初からこんなに良好ではありませんでした。
息子と夫の事を少し振り返りたいと思います。

 

 

~最初に呼んだのは”パパ”~

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

以前上記過去記事の中で、1歳4ヶ月頃にパパの事を”あっぱー”と呼んだと記録しています。
(ママと言えたのはもっとずっと後でした。)

夫は穏やかな人で子煩悩なタイプだと思います。
最初に”あっぱー”と呼ばれた時はそれはそれは嬉しそうでした(笑)

 

 

~発達検査の結果以降~

でもその頃から息子の多動面や意志疎通の難しさが目立ってきました。
日中息子と対峙している私がいかに多動で辛いかを都度夫に伝え続けました。
口頭や写真を見せたり、時には発達障がいについての本を見せたりです。

でも激しい夜泣きや癇癪に対面しない限り、夫は”喉元過ぎれば・・・”という対応の仕方でした。

夫自身は恐らく『わかっている』と思っていたと思うのですが、私からすれば検査結果が出る前も出た後も何も変わらない夫に少し不安を覚えていました。
息子の難しい点の本質を何一つ理解してくれていないのでは・・・という気持ちです。

それはそうです、たとえ土日に子どもと遊んでくれたとしても泣き出したり癇癪を起こせば私と一緒に対応すれば良いですし、家事と育児を一緒にする事はなかったからです。

育児をしながら家事をしつつ、その上で多動や癇癪に一人で対応する大変さも理解して欲しかったのと、一緒に過ごす間に息子の問題点を少しでも見出し理解していって欲しかった。。。


そんな思いで私はある行動に出ました。

 

 

~ママ、働いてみる(笑)~

例えば日曜日に美容院へ行ってみる、といった口実でも良かったのですが、出来ればほぼ一日夫に息子を見てもらおうと考えた結果が、『働いてみよう!』でした。

今から思っても極端な考え方だと自分でも呆れますが、夫が一番納得してくれそうな理由が労働だったのです。

夫は夫婦共働きの方が多い県の生まれで、元々私が働く事には理解がありました。
私も自分の保育者としての自信が揺らいでいた頃で、春から息子を幼稚園にお願いするか保育園に一日中息子をお願いして私も働くか?という選択肢で悩んでいた事もあり、
「あなたがお休みの日に試しに一日働いてみたい。」と言うとすんなり子守を引き受けてくれました。

本当は家事や3食の用意もお願いしようかと思ったのですが、まだまだ息子の多動も激しかった頃で不測の事態を避ける為にも出来る家事は全て終えた上で1日だけのバイトに行きました。

久々の仕事は・・・新鮮でした(笑)
当たり前ですが、トイレやお昼ご飯もいただく時間があり、『何と守られた環境なのか・・・』と伸び伸びテキパキお仕事をさせて頂きました。
そして何より同じ様な先輩女性の方たちとお話しする事が楽しかったのです。
意志疎通がこんなにも容易く、会話って楽しいものなんだな・・・と息子との会話と比べてしまった自分がいました。

息子には申し訳ないですが、やはり当時はまだまだ一番辛い頃で私にもどこか逃げ出したい気持ちがあったのだと思います。
今回はバイトだからあまり大変さも感じる事なく楽しく終われましたが本格的なお仕事となればもちろん責任ある事ばかりになるとも思えます。
それでもこうして働くのもメリハリが出て良いかもしれないと、思いながら仕事を終えました。

夫に息子の事を理解して欲しい一心で働きに出たのですが・・・私の方が息子から逃げてしまうという結末になってしまいました。

でも、本当に神様っているのかもしれません(笑)
春から働いてみたい気持ちを夫に伝えようと帰宅すると、家では思わぬ状態に陥っていました。。。


何と、夫が熱を出してしまっていたのです(笑)
お昼休みや帰る前のメールではそんな素振りも見せなかったのですが、息子への対応に追われて自分の事を後回しにしすぎてしまったのでしょう。
当時は冬でした。「乾燥した空気で喉をやられた」と言っていましたが、私にバトンタッチした後寝込んでしまいました。。。

この件で、私は春から働く事は見送り、育児に専念する覚悟を決めました。

また同じ様に子どもを任せなくてはいけない時に、同じ事態に陥らないともまだ思えなかったからでした。

そして夫に息子の本当の問題を理解してもらう事もまた、少し先延ばしにする事にしました。

いつかその時がきっとくる・・・それまで穏やかに子どもと接してくれさえすればそれでいいと思いました。

 

 

~突然その時が訪れました~

春が来て3歳になり、息子は幼稚園へ入園しました。

ある土曜日の朝、外出前に私が息子の上履きを外で洗っていた時です。
室内から夫の苛立った大声が聞こえてきました。

「お片付しないなら、ミニカーも電車も全部捨てるよ!」
吊り上った目ではっきりと怒っている顔をした夫の横で大はしゃぎで飛び回る息子が見えました。

夫は手に大きなゴミ袋を持ち、息子を脅している様でした。
「外出前に息子に片付けさせてね?」とお願いしたのですが、全く指示が通らない息子に激怒してしまったのです。

それまでは息子が散らかしたおもちゃを夫が自分で片付けてしまっていたのですが、幼稚園に入園した事もあり自分で片付ける様に息子に促して?と初めてお願いしたのです。
ですからこうした問題が顕在化しました。

すぐに事態を理解した私は夫に
「ホワイトボードに文字で”おかたづけしないとゴミ収集車に持って行ってもらうよ”と書いてみて?」と伝えました。
(本当は”おかたづけしましょう”とか”①おかたづけ②トイレ③おでかけ”の方が書き方としては望ましいのですが、夫に事態を理解してもらう意味もあって上記の様な言葉を書いてもらいました。)

ホワイトボードを見た息子は血相を変え、泣きじゃくって
「ダメー、ダメー!!!!おかたづけ、おかたづけ!!」といって必死で片付け始めました。

今度はその形相を見た夫の方が唖然としていました。
そして、この時夫ははじめて息子の”視覚優位”というものがどういう事なのか理解したのです。

「ね、これが視覚優位なのよ。あの子、あなたが怒った顔がただ楽しかっただけなんじゃない?いくら言葉だけで怒っても本人には伝わっていなかったのよ。」

夫は言葉が出ない様でした。
そしてそんな息子に激しく怒っていた自分を責めていた様でした。
小さく「わかった。」とだけ言い、息子の片付けを支援し始めました。

それ以来、息子の視覚優位である点や見えないと理解が難しい点等にもきちんと対応してくれる様になったのです。

そればかりでなく息子の好きな事にも理解を示したり、力の必要な遊びや公園巡りにも積極的に連れ出してくれる様にもなりました。


パパが息子の事を正しく理解してくれる様になって約1年*1が過ぎました。
今では多くの事はホワイトボードを使わなくても意志疎通が出来る様になってきましたが、初めての事や理解が難しそうな事は今でも書いて説明してくれています。

そして視覚優位だけでなく、感覚過敏やこだわりについても正しく理解し、弱さや苦手さを多く持つ息子でも可愛がってくれています。

息子はパパの事が大好きです。

 

 

 

 

 

【追記】
夫の多動への理解が薄かった事について少し追記を・・・。 息子の1歳半頃からの激しい動きに対して、夫はあまり心配していない様子でした。

理由としておそらく(本人には聞いていません、推測です。)
①男の子なんてこんなもの、という感覚。
②息子の多動に機敏に反応出来る。

特に②については私の対応と大きく違う点がありました。
・夫は足が速い→少々距離が開いても、危険な状況の寸前で反応しダッシュで間に合う。
・手が長い→手を繋いでくれない時期でも、少し離れても大丈夫。
・危険予測の的確さ→私自身少し耳や視力に弱い所があり、常に周囲を警戒しなければいけなかったのに対し夫はさほど問題ではなかった様子でした。

保育者の身長や運動能力によっても多動の子に対する警戒感が大きく違う、と感じた事が何度もありました。
こうした点も夫と私の感覚にズレがあった点かもしれません。
(こうして列挙すると、私はつくづく保育に向いていないですね^_^;)

 

 

 

 

*1:この記事を改めてUPした2018年だと3年以上経ちました。今ではもうパパ・ママとは呼ばず、ホワイトボードで意思疎通をする事も少なくなり、おかげ様でほとんどが会話で済むまでに成長する事が出来ました。もちろん大事な事、勘違いしやすい事なんかは書いてみんなの意見を合意させたりしています。

写真を見ても誰かわからない(2歳8ヶ月~)

今日は笑える過去のお話を一つさせて下さい。

 

~プレで撮影した写真~

プレでの生活にも馴染み様々なイベントや授業を通じて、同じクラスのお友達や先生との交流が深まっていった2歳後半頃の事です。

息子本人の口から先生方やお友達の名前が頻繁に出始め、
「今日は○○くん来てた。」とか
「△△ちゃんと遊んだ。」

といった話しをしてくれる様になってきました。

私も嬉しくなり、先生方が撮影して下さったプレ生活の写真を息子に見せながら、
「○○くんて、このお友達でしょ?△△ちゃんはこっちかな?」

と聞くのですが、息子の反応は『???』でした。

 

私の勘違いかもと思い、
「あれ?ママ間違ってる?このお友達じゃなかったかしら?」と聞くと、
「・・・うーん。わかんない!」

と答えるのです。

『まだお顔を覚えていないのかな?じゃあ・・・どうやって○○君、△△ちゃんとわかったのかしら?声かも・・・』などと考えていました。


するととある別の写真を見つけた息子が、
「あっ!☆☆先生だ!」

と指で示すのです。

でもその写真には☆☆先生は見当たりませんでした・・・と思ったら・・・
確かに☆☆先生が写ってらっしゃいました、足だけ(笑)

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当時の写真をイラストで再現してみました。
イラストの様に右上に☆☆先生の足元が少しだけ写っていたのです。

 

ピン・・・ときました(笑)
顔が怖いからか、対象者の輪郭に先に目が行く特性からか・・・。
顔は覚えられないけど、代わりに靴や足の雰囲気なら顔から遠いので見る事が出来る!

足で誰かを覚えていたから、顔だけの写真では誰かわからなかったという真相なのでした(笑)

 

顔を覚えられない相貌失認(Wikiページへのリンクです→相貌失認)という脳障害を思い出しましたが、こんな事もあって対象物の中心を見る練習をそれとなーくして参りました。

今でもまだ苦手だけど相手の目や顔全体を見る事を覚え、幼稚園でクラスで撮った運動会の写真を見ては
「□□ちゃん、笑ってるね!」

と言える様に。(視線のポイントを変える練習は、ちょうど3歳頃に始めました。ですのでその内容はまたその頃の時期に書かせて下さいませ。)

気付いた当時は大変驚いた事象でしたが、今となっては笑い話の一つになっています。

 

 

追記
ちょうどその頃私が髪を切ったんです。

バタバタでずっと美容院に行けなかったので気付いたら腰あたりまで伸びていました。あまりに長くて重いので息子がプレに行っている間にバッサリ切りました(笑)

でも帰ってきても息子は全く気付かなかったんですよね。
変化を嫌う子だから泣くかな?と覚悟でお迎えに行ったのにスルーでした。
いかにこの頃相手の顔付近を見ていなかったか、という事を示すエピソードだなぁと思い追記させていただきました。

・・・と、この記事を書いた当時は思っていたのですが、髪型に関してはどうやら息子はショートヘアの女性が好きな様で、もしかすると短く切った髪を気に入ってくれていたんだけどそれを表現出来なかっただけ・・・かもしれません(^^; 

なんて小学生の息子を見て最近思う母でした。

多弁(お口の多動)の始まり(2歳6ヶ月~)

~プレの2学期~

水遊びや公園遊びに明け暮れた夏休みも終わり、プレの2学期が始まりました。
(プレスクールは週2。プレのない日は相変わらず公園巡りをしていました。)

運動面の向上にひきつられてか、夏休み中に発語が随分増えました。
自宅では・・・それはそれはもう・・・うるさい程しゃべっていました(笑)

スムーズにお話しをする、という訳ではなく、
「この電車、速いね~。」
「この電車、びゅーんだね。」
私が返事をするまで何度も同じ内容を言い換えて話していましたので、きっと自分の言っている内容が他人に伝わっているか?を確認していたのかな?と思います。

そうした変化はプレでも同じ様に出ているのかと思っていました。

が、そうではなかったのです(笑)

今から思えば場面緘黙の様な事があったのですね。
場面緘黙とは?Wikiのページをリンクさせていただきます。(場面緘黙症

家庭では多弁なのに、プレでは全く話せないに近い状態だったのかもしれません。
(確かに、当時家庭では英語で100まで数えられていたのに、プレの先生方からのお話しでは30までも言えない様でした。)
知っているのに、言いたい事があるのに、場所や対する人が異なれば発話しない・・・。


が、次第にプレの自由時間などでベラベラとしゃべる様になったそうです(笑)

「お子様、実は結構おしゃべりされるんですね!」
とある日プレの先生からお聞きする事がありました。

私にしてみれば『えーーーー????今までしゃべらなかったんでしょうか??』と内心笑ってしまいました(笑)確かに、それまではお迎え等で息子の様子を見ていると、あまりお友達や先生に話しかける様子はありませんでした。。。

時間の経過とともにプレの先生方や優しいお友達の事が少しづつわかりはじめ、『ここなら話しても大丈夫なんだ』と思え始めたからなのかな?と思います。


こんなタイプの子ですから、きっとプレのお友達との関わり方もあまりわからず『ボクどうすればいいの?』とずっと思ってきたのでしょう。

まだこの月齢の子ども達って、他者との関わり方がわからないタイプの子も多いと思います。
特に姉妹兄弟のいない息子の様な場合は自然に身につく、というよりも周囲の大人に少し間に入ってもらいながら接し方を憶えていく事もあるのかな?と思います。

プレの先生方もそういった事を良く理解されていて、息子が例えばお弁当の準備が早く出来た時は、他のお子さんのお手伝いを促して下さったりと自然に他のお子さんと関われる機会を沢山作って下さっていました。

そういった経緯もあり、運動機能の向上もあり、このタイミングでおしゃべりが一気に増えたという事かな?と思います。
(今回は推測が多くてすみません、プレであった事は想像でしかなく、私が実際に見た事ではない事も多いのでこんな書き方になっています。)

 

 

~プレの2学期~

家庭での多弁は相変わらず続いています。
プレから幼稚園に変わった時に、また場面緘黙の様な状態にもなりました。
ただ、今度はお友達と関わりたいという意志があってか、ある時期になり積極的におしゃべりの練習を独学で始めた事がありました。

それはまた3歳半頃の記事の中で記録させていただく予定です。

 

で、騒がしいほどの多弁の止め方は・・・ウチでは特に止めていません。(というよりもいくら抑止しても止められないといった方が正しいかもしれません。)
公共の場なので静かにしなければいけない時などは

「今はお話ししませんよ。」

と伝えます。それで治まる場合はそれで良いのですけれど、治まらない場合はどうして今この場で話したいのかな?という原因を探って対応しています。
(何か興奮する事があれば、同意したりといった程度ですが。)

そしてそれでもダメな場合は環境を変えるために退席しています。

 

家庭では多弁もお話しの練習なのだろうと思い、相手出来る時は出来るだけ会話になる様に話を促したり、掘り下げたりといった程度の事はしています。

お相手出来ない時は・・・正直に
「ごめん、今お話出来ないョ。後でお話ししようね。」と伝える様にしています。
(最近ではやっと少し待ってくれる様になりました(笑))

 

 

が・・・多弁の問題はそう簡単な問題ではないというのが息子が小学生になった頃に痛感している次第でございます。