ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

パパの理解(2歳9ヶ月~3歳)

以前のブログでこの記事を書いた日、
夫は息子をミニカー専門店へ連れ出してくれた事がありました。

私も行きたかったけど、家事もありましたので夫に任せました。
思い起こせばまだ当時は指示も通りにくく危険な行動もまだまだ沢山あったのに、夫は私の事を気遣って私に息抜きの時間をくれたのでした。

息子はパパと大好きなバスや電車に乗ってそのお店に行ける事が嬉しくて元気に飛び出して行きました。

 

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(運転士さんのご迷惑になりそう・・・といつも思うのですが先頭車両へ行ってしまいます(^_^;)陣取ってすみません、景色やレールが見られるので大好きな様です。)

 


でもパパと息子の関係は最初からこんなに良好ではありませんでした。
息子と夫の事を少し振り返りたいと思います。

 

 

~最初に呼んだのは”パパ”~

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

以前上記過去記事の中で、1歳4ヶ月頃にパパの事を”あっぱー”と呼んだと記録しています。
(ママと言えたのはもっとずっと後でした。)

夫は穏やかな人で子煩悩なタイプだと思います。
最初に”あっぱー”と呼ばれた時はそれはそれは嬉しそうでした(笑)

 

 

~発達検査の結果以降~

でもその頃から息子の多動面や意志疎通の難しさが目立ってきました。
日中息子と対峙している私がいかに多動で辛いかを都度夫に伝え続けました。
口頭や写真を見せたり、時には発達障がいについての本を見せたりです。

でも激しい夜泣きや癇癪に対面しない限り、夫は”喉元過ぎれば・・・”という対応の仕方でした。

夫自身は恐らく『わかっている』と思っていたと思うのですが、私からすれば検査結果が出る前も出た後も何も変わらない夫に少し不安を覚えていました。
息子の難しい点の本質を何一つ理解してくれていないのでは・・・という気持ちです。

それはそうです、たとえ土日に子どもと遊んでくれたとしても泣き出したり癇癪を起こせば私と一緒に対応すれば良いですし、家事と育児を一緒にする事はなかったからです。

育児をしながら家事をしつつ、その上で多動や癇癪に一人で対応する大変さも理解して欲しかったのと、一緒に過ごす間に息子の問題点を少しでも見出し理解していって欲しかった。。。


そんな思いで私はある行動に出ました。

 

 

~ママ、働いてみる(笑)~

例えば日曜日に美容院へ行ってみる、といった口実でも良かったのですが、出来ればほぼ一日夫に息子を見てもらおうと考えた結果が、『働いてみよう!』でした。

今から思っても極端な考え方だと自分でも呆れますが、夫が一番納得してくれそうな理由が労働だったのです。

夫は夫婦共働きの方が多い県の生まれで、元々私が働く事には理解がありました。
私も自分の保育者としての自信が揺らいでいた頃で、春から息子を幼稚園にお願いするか保育園に一日中息子をお願いして私も働くか?という選択肢で悩んでいた事もあり、
「あなたがお休みの日に試しに一日働いてみたい。」と言うとすんなり子守を引き受けてくれました。

本当は家事や3食の用意もお願いしようかと思ったのですが、まだまだ息子の多動も激しかった頃で不測の事態を避ける為にも出来る家事は全て終えた上で1日だけのバイトに行きました。

久々の仕事は・・・新鮮でした(笑)
当たり前ですが、トイレやお昼ご飯もいただく時間があり、『何と守られた環境なのか・・・』と伸び伸びテキパキお仕事をさせて頂きました。
そして何より同じ様な先輩女性の方たちとお話しする事が楽しかったのです。
意志疎通がこんなにも容易く、会話って楽しいものなんだな・・・と息子との会話と比べてしまった自分がいました。

息子には申し訳ないですが、やはり当時はまだまだ一番辛い頃で私にもどこか逃げ出したい気持ちがあったのだと思います。
今回はバイトだからあまり大変さも感じる事なく楽しく終われましたが本格的なお仕事となればもちろん責任ある事ばかりになるとも思えます。
それでもこうして働くのもメリハリが出て良いかもしれないと、思いながら仕事を終えました。

夫に息子の事を理解して欲しい一心で働きに出たのですが・・・私の方が息子から逃げてしまうという結末になってしまいました。

でも、本当に神様っているのかもしれません(笑)
春から働いてみたい気持ちを夫に伝えようと帰宅すると、家では思わぬ状態に陥っていました。。。


何と、夫が熱を出してしまっていたのです(笑)
お昼休みや帰る前のメールではそんな素振りも見せなかったのですが、息子への対応に追われて自分の事を後回しにしすぎてしまったのでしょう。
当時は冬でした。「乾燥した空気で喉をやられた」と言っていましたが、私にバトンタッチした後寝込んでしまいました。。。

この件で、私は春から働く事は見送り、育児に専念する覚悟を決めました。

また同じ様に子どもを任せなくてはいけない時に、同じ事態に陥らないともまだ思えなかったからでした。

そして夫に息子の本当の問題を理解してもらう事もまた、少し先延ばしにする事にしました。

いつかその時がきっとくる・・・それまで穏やかに子どもと接してくれさえすればそれでいいと思いました。

 

 

~突然その時が訪れました~

春が来て3歳になり、息子は幼稚園へ入園しました。

ある土曜日の朝、外出前に私が息子の上履きを外で洗っていた時です。
室内から夫の苛立った大声が聞こえてきました。

「お片付しないなら、ミニカーも電車も全部捨てるよ!」
吊り上った目ではっきりと怒っている顔をした夫の横で大はしゃぎで飛び回る息子が見えました。

夫は手に大きなゴミ袋を持ち、息子を脅している様でした。
「外出前に息子に片付けさせてね?」とお願いしたのですが、全く指示が通らない息子に激怒してしまったのです。

それまでは息子が散らかしたおもちゃを夫が自分で片付けてしまっていたのですが、幼稚園に入園した事もあり自分で片付ける様に息子に促して?と初めてお願いしたのです。
ですからこうした問題が顕在化しました。

すぐに事態を理解した私は夫に
「ホワイトボードに文字で”おかたづけしないとゴミ収集車に持って行ってもらうよ”と書いてみて?」と伝えました。
(本当は”おかたづけしましょう”とか”①おかたづけ②トイレ③おでかけ”の方が書き方としては望ましいのですが、夫に事態を理解してもらう意味もあって上記の様な言葉を書いてもらいました。)

ホワイトボードを見た息子は血相を変え、泣きじゃくって
「ダメー、ダメー!!!!おかたづけ、おかたづけ!!」といって必死で片付け始めました。

今度はその形相を見た夫の方が唖然としていました。
そして、この時夫ははじめて息子の”視覚優位”というものがどういう事なのか理解したのです。

「ね、これが視覚優位なのよ。あの子、あなたが怒った顔がただ楽しかっただけなんじゃない?いくら言葉だけで怒っても本人には伝わっていなかったのよ。」

夫は言葉が出ない様でした。
そしてそんな息子に激しく怒っていた自分を責めていた様でした。
小さく「わかった。」とだけ言い、息子の片付けを支援し始めました。

それ以来、息子の視覚優位である点や見えないと理解が難しい点等にもきちんと対応してくれる様になったのです。

そればかりでなく息子の好きな事にも理解を示したり、力の必要な遊びや公園巡りにも積極的に連れ出してくれる様にもなりました。


パパが息子の事を正しく理解してくれる様になって約1年*1が過ぎました。
今では多くの事はホワイトボードを使わなくても意志疎通が出来る様になってきましたが、初めての事や理解が難しそうな事は今でも書いて説明してくれています。

そして視覚優位だけでなく、感覚過敏やこだわりについても正しく理解し、弱さや苦手さを多く持つ息子でも可愛がってくれています。

息子はパパの事が大好きです。

 

 

 

 

 

【追記】
夫の多動への理解が薄かった事について少し追記を・・・。 息子の1歳半頃からの激しい動きに対して、夫はあまり心配していない様子でした。

理由としておそらく(本人には聞いていません、推測です。)
①男の子なんてこんなもの、という感覚。
②息子の多動に機敏に反応出来る。

特に②については私の対応と大きく違う点がありました。
・夫は足が速い→少々距離が開いても、危険な状況の寸前で反応しダッシュで間に合う。
・手が長い→手を繋いでくれない時期でも、少し離れても大丈夫。
・危険予測の的確さ→私自身少し耳や視力に弱い所があり、常に周囲を警戒しなければいけなかったのに対し夫はさほど問題ではなかった様子でした。

保育者の身長や運動能力によっても多動の子に対する警戒感が大きく違う、と感じた事が何度もありました。
こうした点も夫と私の感覚にズレがあった点かもしれません。
(こうして列挙すると、私はつくづく保育に向いていないですね^_^;)

 

 

 

 

*1:この記事を改めてUPした2018年だと3年以上経ちました。今ではもうパパ・ママとは呼ばず、ホワイトボードで意思疎通をする事も少なくなり、おかげ様でほとんどが会話で済むまでに成長する事が出来ました。もちろん大事な事、勘違いしやすい事なんかは書いてみんなの意見を合意させたりしています。