甘やかしと甘えさせるの違いとは? その4(2歳代~現在まで)
長くなりましたが『甘やかしと甘えさせるの違いとは?』シリーズ最後の記事です。
~甘やかし?甘えさせる?~
一体何が”甘やかし”でどこからが”甘えさせる”なのか?
ここまで散々色んなことを言っておきながら、それでもまだどこかで
『甘やかしはやっぱりイヤかな・・・』
なんて思う気持ちがまだ残っていた頃もありました。
じゃあ、甘やかし/甘えさせるを整理して線引きをしてみれば
自分の中で折り合いをつけられるんじゃないかなと考えました。
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結果「甘えさせる」については、
既に出来る事をたまには
「いつも頑張っているから今日はちょっと一休みしてもいいのよ。」
といつもの頑張りを認めつつ、今は頑張らなくてもいいよと受け止める事を「甘えさせる」と我が家では考えてみる事にしました。
例えば当時出来る様になったばかりの、洗髪や体洗い。
一応息子だけでも出来る様にはなっていたんですけど、まだまだ本人は四苦八苦な様子でした。*1
この様に『傍で見ていると確かにしんどそう・・・なんだけどよく毎日努力しているなぁ』と感じる事については自立心で一杯の時は自主性にまかせて、しんどそうな時はたまに甘えさせています。
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じゃあ「甘やかし」は?
う~ん、正直線引きが大変難しいです。
が、何かの能力が芽生えてきた事を感じながらも伸ばすように促さなかったり、出来る様になった事でも
「一度は出来る様になったのだからもう(努力を続けなくても)いいんじゃない?」
と本人の不断の努力への気持ちを薄らげてしまう様な事なのかな?と思います。
特に毎日の習慣や体の中心を支える筋肉については、一度出来たとしてもそれで終わりとはいかない様です(息子は筋肉の付きにくいタイプなのかなと思います)。
辛いですが少しづつでも続けていくしかない様です。
確かに苦手な能力を伸ばす事はとても疲れるし体力がいる事なので、尻込みして甘えたい気持ちはわかります。
誰だってダラダラしたくなりますよね。
そんな気持ちを受け止めつつも、少しづつでいいから土台を固めて羽ばたく練習を日々親子で積み重ねています。
しかしそれもあくまでも楽しみながら、という気持ちは忘れずに。
~新・魔法の靴~
いきなり話がガラリと変わりますが、ここからは靴の話です(^^;)
というのもこの記事を最初に書いた当時、ちょうど朝の子ども向け番組の今月の歌が靴を題材としたものだったので。あれからもう数年経っちゃいましたが、いい記念なのでこのまま載せさせて下さいね。
この記事の後に、子どもの有能感について考える記事を予定しているのですが、その中で、息子に「ボクにも出来る!」という有能感を育み、子どもの自立心を大きく促してくれる役割を果たした魔法の靴をご紹介する予定です。
当時の息子にとっては、遊びや運動とはまだ苦手意識がどこかにあり、息子にとって辛い事も多かったものでした。
ですがこの魔法の靴たちはただただ楽しいものに変えてくれた立役者。
特に初代魔法の靴に関しては、息子がとても気に入ったのでボロボロになるまで履き続けました。
靴にもそんな気持ちが通じたのでしょうか?
息子を色々な遊具に誘っては
”大丈夫、ボクは魔法の靴だから!”
とでも語りかける様に息子に遊ぶ勇気を持たせてくれました。
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座る姿勢を保持する為や、手と目の協調運動をスムーズにしていく為にも正しい姿勢を保持できる様に。
延いてはこの子の人生の生活の質を保てる様な体作りを・・・と考え始めていた当時。
私が息子に求めた事はまだ少々厳しかった様に思います。
特に子どもですから、いくら体に良い事でも辛い事や厳しい事ばかりでは長続きしない事は明白でした。
だから北風と太陽方式を(笑)
楽しく遊んでいるうちに体幹や筋肉をつけてやれたらいいな~って誰しも思いますよね。
靴裏のグリップ力や足首を捻らない様にしっかりと保持してくれる靴を選びました。
もちろん見た目も息子が気に入るものを。
あの当時たくさん遊んだ事で、今の息子の体の基礎が出来たと信じています。
*1:結局小学生になった頃にはお風呂関係は自立していましたし、その頃には逆に親がやってあげようとすると「自分でやるもん。」と恥ずかしがる様子もみられる様になっていました。