ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

癇癪泣きの事(3歳10か月)

明けましておめでとうございます。

本年もよろしければお付き合いいただけますと幸いです(*^^*)

 

 

さて、2019年最初の記事ですが、癇癪泣きについて書きました。

かなり長文になってしまいました(;^ω^)相変わらずでスミマセン・・・

 

短く書き直したかったのに昔の記事よりも更に長文・・・5000字を超える有様に( ;∀;)

でも折角書いたし、お正月だからこのままUPさせて下さいネ。

 

前半が癇癪泣きへの具体的な対応方法、後半が育児を見直した経緯などを書いておりますので、よろしければお時間のある時にでもゆっくりお読みいただければと思います。

 

 

 

~癇癪泣きへの対応~

 

 さて、以前に書きました↓「甘やかしと甘えさせるの違いとは?その1」

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

の脚注で触れた癇癪泣きの件を今日はUPさせていただきます。 

 

よく”癇癪泣き”と言いますが、「そういえば癇癪とはどんなもの?」と考えたことから始まった考察です。
息子が小さいうちは随分と悩まされました”癇癪泣き”を3歳10か月の頃にじっくり考えてみました。

良かったらご覧ください。

 

 

 

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まずはgoo辞書さんで『癇癪』の定義を調べてみました。
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かん‐しゃく【×癇×癪】
ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで激しく怒り出すこと。また、そういう性質や、その怒り。「―を起こす」「―が強い」
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息子が3歳10か月のある朝、正しくこの辞書の通り既に感情を抑えきれないで激しく怒って起きてきました。
「ママどこよ!」から始まり、私が米研ぎしていたのを見つけると
「ボクやりたかったよ!!」(お米の計量は当時手先の訓練として息子の日課になっていました)
「(昨夜遊んだまま放置してあったミニカーを見て)ボクお片付出来ないよ!!!」
等です。
定義通り、ちょっとしたことで激しく怒り泣きしていました。


でもどうして彼は朝からこんなに怒り狂っていたのでしょう?


色々探ってみると・・・

結局とてもお腹が減っていた状態が根底にあり、朝からちょっとした事でとても不機嫌だった様です。

※後で「すごくお腹が減ってたの」と言っていました。

 

本人は、内部要求の掴み取り*1が苦手なので、朝大泣きした根本原因が空腹であるとは自分自身でわからないのです。


ですので、こうした体からの要求は大人が見極めてコントロールしないとまだまだ難しい頃でした。




~で、肝心の癇癪泣きへの対応は?~
①冷静に状態を見極める事。
②対応者は声を荒げたり、暴力を振るわない事。
③出来れば誰か大人が一人横について、話を聞いたりなだめる事。
今までに実施した中では結局この対応に近い程早く治まった気がします。


①見極めは、時刻や体力から判断して

  • 遊びすぎなら=喉の渇きや疲れが考えられる→お茶等で休憩
  • 朝起きてすぐなら

  (1)目覚めて誰もいなくて寂しかった→抱っこしてみる

  (2)トイレへの要求の可能性→トイレを促す

  (3)空腹→すぐに食べられるものを用意してみる

  • 昼ごろの癇癪泣き=空腹やトイレ、暑さ寒さを疑う
  • 昼寝後の夕方泣き=ひょっとしたら遊び足りない感(あまり遊んでいないのに夕方になってしまった)かも?→今から遊ぼうと誘ってみる

等など、こんな予想を立てて行動しています。※今読み返すと当たり前の事ばかりですね(^^;)


②の暴力なんて殆どの方はされないと思います(私ももちろんしません)が、『声を荒げない』これが結構私には難しいです(T_T)

 この日も朝という事もあり、朝食の準備、お弁当、アイロンがけなど家事に追われている時に膝を付き合わせる事が難しいという焦りが・・・そんな気持ちから、声で何とか治まらないか?と荒げてしまうのです。

 

が・・・結果的には少し時間を割いてなだめる方が早く落ち着く事も多いので、今後はもう少し子どもの気持ちに寄り添いたいという反省の意味も込めて今日この記事を書き記しておきます。


③誰か一人が横につく。

この日の朝は夫がやってくれました。
誰か傍にいて、出来れば目線の合い易い高さに腰を落としておくと子どもは何をすれば良いか我に返りやすい様な所が多く見られてきました。


難しい事を考えずに、ただ寄り添うだけでも(→本当は時間に追われているとこれが一番難しい事なのですが(T_T))早く癇癪泣きから回復する気がします。


その際に一定のリズムで「ぎゅっぎゅっぎゅっ」と抱きしめるのも結構効果がありました。こうした刺激を圧迫刺激と言うそうです。しかしこれは本人が不快でない感覚だから有効なのでしょう。例えばふわふわのタオルケットや毛布でくるんであげるても同じ様な効果だと思います。

 

そういえば過去に感覚過敏・鈍麻への試み 皮膚 前編(2歳4ヶ月~)の中でふわふわ毛布でくるんだ事があったのですが、この時の刺激もおそらく同じだったのでしょう。ホッと出来る効果がある様に思います。

※ですから逆にゴワゴワタオルの方が好きなお子さんの場合は麻などの素材のものを探してみるなど、お子さんの好みを見て対応してみると良い様に思います。

 

 


~パニックは落ち着くまで放置した方がいいのでは?~
この様な癇癪泣きが一般的によく言われるパニックかどうか・・・正直よそのお子さんとじっくり比べた事がないので何とも言えないのですが、1歳3ヶ月以降はこの様な激しく泣く状態が頻繁にありました。

1歳代はどうすることも出来ず、一緒に泣いたり途方にくれるばかりでした。
落ち着くまで放置した方が良いという話もききましたのでただそっと見守る時期もありましたが、ご近所の方に虐待を疑われる程の泣きっぷりでしたので見守るのも辛く色々試してみた結果です。

やっぱり泣くには原因があるのだと思います。

その原因は人それぞれ・・・もしかしたらお子さんによっては何かのこだわりを崩されたり(例えば電気をつける順番がいつもとは違ったとか、着替えの手順が違うといったもの)思い通りにならないはがゆさ故の怒りだったりするのかもしれません。

 

でも本当は、その怒りの奥底にはもっと生命維持に関わる根源の様な原始的な要求に気付けないで困っている事があって、それらがわかりやすく表面化した別の怒りや事象を通じて発せられたりする事もあるのかな?と思っています。


だからこの事に何となく気付いてからは、私も子どもに声を荒げたり、追い込んだりする事はあまりなくなってきました。怒りの根底にあるのは”空腹、眠気、疲れ、寒さ、喉の渇き等”なんじゃないかと真っ先に考えてみる様にしてみたからです。


子どもの感情が昂っているいる時ほど『何かお困りですか?』程度の気持ちで接する様に心がけ、少しの言葉やヒントから状態を見極めようと思っています。

 

 

~私自身が母親からしつけられた事~

とは言っても、人間ですから大人とはいえ感情を完全に抑える事なんて出来ません。
時には逆切れしてしまう事もあります。

そういった諸事情を勘案したとしても、私には激しく怒鳴ってばかりの時期がありました。

まだそうした対応をしていた頃は子どもが癇癪泣きをする度に逆ギレし、更に子どもの癇癪泣きを悪化させるだけの日々。*2

 

”こんな毎日ではこの家は破綻してしまう・・・

子どもの変化(つまり成長)を待つよりも自分が変わる方がこの状況を早く変えられるんじゃないか・・・”

 

日々の生活が出来ない程家庭内が崩壊しつつあった当時・・・このままでは最悪の事態に至る事を感じていました。

それならば今自分ができる最大限の事をやってみよう、とこれまで自分が子どもに対して常識だと思っていた事などを全て捨ててみたのでした。

 

つまり

  • 最初から一貫したしつけが必要でその為にはダメな事はいくら幼くても最初から厳しくダメと言い続けるべきだ
  • 子どもに軽んじられてはいけない。子どもは大人が制御すべき対象である

 

こうした事を思って息子に対峙していたんですね、いつも。

だけど息子が荒れ狂う程にどんどん自問自答する日々に陥りました。

 

”常識って何だろう・・・ダメの本当の理由って何だろう・・・大人に都合が悪い事を全てまとめてダメって言ってないかしら・・・?”

 

その結果、今伝えなくても良い事は伝えない覚悟を決めたんです。

いつか伝えるべき日が来るまで忘れずに心に留めておいて、それまでは必要な順序を追って伝えていこう、と。

 

 

 

そうして子どもへの対応を見直していった結果、息子の状態がぐんぐん好転していったのでした。

 

少し落ち着いた後に、ふと・・・当時の自分を振り返る事がありました。

”私、どうして子どもが激しく泣いている時に同情出来なかったのかしら?他のお母さんは「辛かったねー、痛かったねー」と子どもを抱きしめる事が出来るのに、どうして私は叱責する事しか出来ないのかしら?”と。

 

理由は一つしかありませんでした。

私も自分の母親にそうされてきたからでした。

 

「泣くな、バカモノ!」

「泣いていても意味がない、いい加減に泣き止め!」

等と罵倒されてきた自分の幼児期を思い出しました。

 

今ならわかりますが弟が生まれ手がかかるのに、誰も育児を助けてくれる人が身近いなくて大変だったのでしょう。
母親は私に対してよく怒鳴っていた記憶があります。
その頃は何も思っていませんでした、私が悪い事をしたから怒られたんだなと。

 

女の子ってね、制御しやすいんですよ。

男の子に比べて力も弱いし、いくら怖い親でも親は絶対的な人だから強く抵抗するも出来ないって心のどこかで思ってて。

だから母もこんな間違った力技で私を育ててしまったのでしょう。

 

そのツケが巡り巡って私から息子に対する育児の中で露になったのです。



こうした対応を受けた私は、いつの間にか自分の中で
『泣く事』=『悪い事』となっていた様です。

幼児期以降あまり泣いた記憶がなく、悲しい、辛い事がきっとあったハズなのに何も心に響いていなかった気がします。


何も辛くない、何も悲しくない、何も感じない、そんなタイプの人間でした。

 

但し対外的には装う事は出来たのです。

学習によって、”こんな時はこんな感情”と学んできたからです。

 

だから善悪や辛い・悲しいといった涙に繋がるような感情は自分で感じたものではなく、対応する感情をただ刷り込まれて大きくなったと思います。

自分の心に感じた感情ではないので、泣けるはずがないのです。

 

これに対して、関西という土壌もあるかもしれませんが、笑いに繋がる感情だけは抑制されずに済みました。母も私が機嫌よく笑っている分には何も口出ししませんでした。

この点があっただけでもいくらかマシだったのかもしれません。

 

 


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確かに子どもの癇癪泣きは、本人も辛いかもしれないですが、聞いている周囲の人間も辛い事です。
でもこの様に感情まで『封印』してしまっては、本当の問題から目を背ける様な気もします。


プレで出会った先生方が一生懸命息子の癇癪泣きに付き合って下さる姿をみて、本来私があるべき姿を・・・やっと理解した瞬間でした。


こうした事を経験した結果、息子には自己コントロールを高めていける為に(=つまり泣きたいのは何故か?と自分の心の中にある深い内部要求に気付き、泣くのでは無く解決していく方法を自分で見つけていく)自分自身の感情に気付いていける様に促していけたらいいなというのが当面の目標です。*3

 

 

【追記】
私のブログでは実母は完全に毒親・・・ですよね(笑)

一応母の名誉の為に追記させて頂きます(^^;)

母は私が幼稚園へ通う様になった頃から体に異変を感じ始め、
”あまり長く生きられないなら何とか生きている間に子ども達に自立する力をつけさせなければ”
という思いで必死に育てたと生前語っておりました。
おそらくそういった関係で必要以上の厳しさを持って接したのだと思います。

結局母は弟が成人して間もなく、彼女自身が感じていた通りこの世を去る事となりました。

私は幸運にも今のところ一応大丈夫そうなので今は母を見習わない事にしたいと思います。

 

 

 

*1:過去記事ぼく、できたよ!(有能感と共感性の関係)前編(生後3歳10か月)で少し述べておりますので良かったらご覧下さい。

*2:ちょうど息子が1歳半~2歳2ヶ月、幼児プレ教室に入ってすぐの頃)です。

*3:成果のご報告(?)ですが、7歳後半くらいから「ボクがこれだけしゃべるのは眠いからってバレてる?(笑)」といった風に自分の状態に少しづつ気付ける様になってきている様に思います。