ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

発達の凸凹への対応 2 ~愛着を考える 後編~(2歳2ヶ月~)

※子どもとの関係を考える上で”愛着”を原点にした当時の事を大事に考えておりまして、以前のブログでは[追記]としていた部分を改めて書き起こしました。よろしければお付き合い下さい<(_ _)>

 

 

~”しつけの為に怒る”の効果は?~

愛着について考えた事の続きです。

 

しつけの為に仕方なく”叱る”・”怒る”という方も多いかと思います。

もちろん誰しも好きで怒る訳ではなく、『怒りたくないけど言う事を聞いてくれないから仕方なく怒る』、とか『怒らないと子どもが動かないから』、という方も多いのではないでしょうか?

 

我が家でもまだ息子が3~4歳の頃はまだ叱る事も多くありました。

でも、叱ってもまさに糠に釘な様子だったのです(笑)

 

それは4歳目前のある日の事でした。

視覚的な手がかりをもちろん利用した上で時刻の約束をした事があったのですが、守れなくて叱った事がありました。

その時の息子の様子は叱っている最中も話し終えた後もボーーーっとしていましたので、『もしかして効果なし??』と思いしばらく様子をみてから本人に話しかけてみました。

 

私)「あのね、今はどんな気分なの?」と聞くと

子)「どんな気分でしょうか?」と逆に聞かれて「わからない」と答えたんですね。

すると

子)「正解は・・・ドドドドド(ドラムロールらしき音)・・・じゃん!楽しい!でした~。新しいおもちゃを思い出してたの。」

と怒られた間も空想に逃避していた様子でした。

 

なのでこんな風に逃避してしまうなら怒っても効果がないと思い、叱るよりももっと適正な視覚的な支援に努め、本人の理解を促して自分でどうすべきか考えていける様にしていくべきだと思ったのでした。

 

強い口調で今の間だけ一時的に言う事をきかせるのではなく、

いつか大人になる頃には自分でどうすればいいのか考えられる子になって欲しかったからです。

 

 

~愛着の定義など~

この記事を一番最初に書いた頃(2015年)は、まだ”愛着”という言葉がピンとこない部分もありました。なので記事を書く際に色々なHPを拝見させていただく中で

アゼルさんという方のD.N.寄生地というHPに心理学解説をされているコンテンツがありまして、その中の”愛着”のページでとても勉強になった箇所がありました。

 

その中ではハーロウが行ったアカゲザルの子どもで試みた愛着についての実験を紹介されていて、『生理的要求の充足より接触の快感の方が愛着の形成に重要』であるとの事でした。

もちろんこれは人間の場合だと異なってくる事もあるのでしょうけれど、そうした実験結果があった事が衝撃でした。

 

実はこうした論文を知らなかった頃、息子がパニック泣きを起こした際には無我夢中でふわふわのブランケットで息子をくるんで外側から強めに抱きしめる(と落ち着く)という事を行っていたのですが、もしかするとこうした事と繋がるのかも・・・?と納得した事がありました。

 

 

 

~父親への愛着は?~

 さて、ここまで出てきたのは母子間についての愛着という事になります。

「確かに私にべったりで嬉しい気持ちもあるけど、たまにはパパにも行ってョ」なんて世の中のお母様達からの悲鳴も聞こえてきそうですが(笑)そうなんです、書いていてふと”では父親への愛着はどうなのか?”と考えてみたんです。

 

先程のハーロウの『生理的要求の充足より接触の快感の方が愛着の形成に重要』(=つまりお世話係ではなく触り心地の良い人に愛着を示す)という内容ならば、もしかすると父親には愛着を持ちにくいのでは?という事になってしまいますよね。

 

でも実際にはそうじゃないと思います。

きっと父親には父親の役割があるはず。

 

結局当時は参考文献などは探せませんでしたが私なりに考えた結果は、

父親への愛着は、もう少し長じてから知的活動や遊びの中で形成されるのでは?という事でした。

 

私自身の記憶を辿ると、父親が”高い高い”や”飛行機”(両方とも子どもを高く持ち上げる遊び)をしてくれた事や知的好奇心への的確な回答をしてくれた事が一番嬉しかった様な気がします。

f:id:let-me-pick-you-up:20180613_001:plain

※息子も夫の高い高いが大好きでした。

 

逆に大きくなるにつれ、私の体重も増えてしまいパワー系の遊びをどんどん拒否されたり知的好奇心に対しても少しづつ学校にお任せな対応が残念と感じた記憶があります。

 

ですので子どもからのこうした要求にこたえていく事も”父親への愛着”の形成につながるのではないかな?と感じています。