子どもの発達障害に気付くまで 13(生後1歳5か月)
※しばらく暗い内容が続きます。お読みくださる方がもし気分を害されたら本当に申し訳ございません。ただ息子や私たち家族の奮闘が始まる前段階の大事な記録です。ここからは書き速めて参りますので、どうかこの『子どもの発達障害に気付くまで』シリーズが終わるまでは暗い内容のまま書き進めます事をお許し願います。
~1歳半検診を待てなくて~
日に日に酷くなる夜泣き、日中の癇癪泣き、偏食や言葉の遅れ、視線も合う様な合わない様な・・・とにかく言う事を聞いてくれず手を振り払って走って逃げてしまう等の気になる点。
どうしても誰かに子どもの異変を認めてほしい気持ちがあって、1歳半検診を前に地域の子ども相談の様な施設へ行ってみました。
大きな総合病院の小児科の医師だった方が相談に乗って下さるという事で、平日ならいつでも相談出来そうだったので子どもと行ってみました。
結果は「この子は自閉症ではない。」との一言。
本来ならホッと安堵するはずの言葉なのに、それを否定して欲しい自分がいる事に気付きました。
そうです、この頃には私は子どもに発達障がいがある事を受け入れられる気持ちになっていて、それを誰かに認めて欲しいと思う様にさえなっていたのです。
それ程に息子の状態が日に日に発達障がいと思える行動ばかりを繰り返していたからです。
次回は当時の息子の様子(特にどんな状態が出ていたのか)をお話しさせて下さい。
子どもの発達障害に気付くまで 12(生後1歳4か月~1歳5か月)
~乗り物への興味~
私の体調が悪くても外へと出たがる息子。
雨の日や長時間外に出られない日でも何とか家の中でも遊べるものは・・・と思いついたのが写真絵本でした。
とにかくたくさんの種類の乗り物を紹介してくれている幼児向け絵本を探してきました。
すぐに息子はこの本の虜になりました。
何度も何度も読んでと催促。気付けば私が家事をしている間なども一人で読む姿も見られる様になりました。
ある時、妙に静かだな~と思って覗き込むと本に落書きをしていました(;´Д`)
(今となっては良い思い出なのですが、当時はこうした落書きも子どもの視線の動きのヒントになりそうな予感がして残しておいたのでした。)*1
しかし一日中この本ばかり読んでくれている訳ではなく、相変わらず昼間の癇癪泣きもひどく、夜泣きなどもありました。
又、相変わらずの外出への要求もありましたので私たち親子の生活はすぐに何かが変わっていった訳ではありません。
しかしこの本との出会いが、この子の一つのターニングポイントになった様に思います。
後々わかる事ですが、耳の感覚過敏というものを持っていた息子は、日中絶えず聞こえる外からの騒音(私や夫には聞こえないレベルの音まで聞いていた様です。)の発生源が何かわからず怖くて泣いていたらしいのです。
それがこの本と出会い、例えば
オートバイという乗り物があって、その乗り物を外で見かけると大きな音を出している
という様な本人の気付きにつながり、音の発生源を知る事で様々な音への不安感が薄れていきました。
上記の様な事はもっと先(3歳になりたての頃)になって本人が話してくれた事でようやく私たち親も理解出来た事でして、当時はまだ癇癪という表現方法しか出来ない息子を前に途方に暮れる毎日には変わりありませんでした。
*1:こうした”視線”や目の動きは、視覚の過敏さや発達の凸凹を持つ息子の感覚を理解する上で一つの重要なポイントになると考えています。独特な物事の捉え方をする一つの要素としてこの目の動きが大きく関わっている、そう子どもと接していて感じるのです。目の動きに関しては後々改めて書かせていただきたいと思います。
子どもの発達障害に気付くまで 11(生後1歳4か月~1歳6か月)
~指差しの訓練~
断乳とともに、子どもの会話や意思疎通の力をもっと伸ばしてやりたいと思い始めたのですが、当時息子はまだ指差しをしませんでしたのでまずは私が興味がある事に指をさす事を意識しました。
方法はいたって簡単で、道路を歩いては「あ、ミキサー車だ!ごみ収集車だ!」という具合です。
根気よく続け、私の指をさした方向を見る物と見ない物が次第にわかりはじめました。
つまり子どもの興味がある物を指した時は指先を見てくれる確率が高かったのです。
車やバス等の乗り物系と鳥や動物といったものに強く興味がある様でした。
そんな調子で続けたところ1歳4ヶ月のある時、子ども本人が指差しする事を覚えました。
私の行動を模倣し、自分もやってみようと思ったのでしょう。
何か食べたい、飲みたいものを要求する為の指差しはまだありませんでしたが、自分の興味を伝える手段としての指差しを獲得した瞬間でした。
こんな事を始めたのは、検診までに少しづつ息子の様子を記録し1歳半検診でもう一度保健師の方やそれ以外の方に状況を確認していただこうと思ったからです。
(なんだか必死であら探ししている様で悲しいですネ(^^;)どうせなら楽しい記録を残したいですよね(T_T))
まぁ、もし息子が自閉症だったとしたらやはり専門家でもない私が一人で解決出来る事ではないでしょうし、もしこうした記録が早期療育に繋がれば、この辛く苦しい日々を打開できるきっかけに出来るんじゃないか、と考えての事でした。
それでも私はまだこの時、本当に苦しんでいるのは私ではなく息子だという事に気付いていませんでした。
次回は指差しで興味を持った乗り物の事や検診の様子をお話しさせて下さい。
子どもの発達障害に気付くまで 10(生後1歳4か月~)
~断乳のこと~
当時1歳4ヶ月の息子ですが、前回記事の追記に書きました通りとてもひどい偏食だったのです。
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
色々試したのですが、一向に食事の内容が改善する兆しも見えませんでした。
そこでネットで調べると「断乳すると食べる様になった」との複数の書き込みを当時見たのです。
いつまでも母乳だと虫歯になるとの意見もあり、思い切って断乳をする事にしました。
その日の朝、最後に十分授乳したあと、胸に黒いマスカラで笑顔の絵を描き、「バイバイしにきたって言ってるよ」と息子に伝えました。
これもネットで見た断乳方法の一つとして紹介されていたので半信半疑で(いえ、ほぼ十中八九ダメだろうと)息子に見せてみました。
すると今でも当時を思い出すと笑えてしまうのですが、息子は何度も何度も胸に描かれた笑顔を確認しに来ました。
そして、「ばいばい。」と手を振りながら一言。
案外あっさりした別れ際。
もっと大泣きするかと思っていましたが、しかし内容は理解している様でした。
今まで何を話してもずっと私の言葉なんか聞いてくれていないと思っていたので、私の言っている事が理解出来ている事に涙が止まりませんでした。*1
その日一日何度も確認には来ましたが、結局母乳を飲む事はありませんでした。
そして翌日も。(翌日も念のため顔の絵は描いておきました。)
2日後、「そういえば母乳を飲んでいる写真、一枚も撮っていない!」という私のエゴと、笑顔の絵を描かなければどういう反応をするのだろうという興味から、絵を描かずにいた所・・・
案の定飛びついてきました(笑)
(この二日間飲まなかったのは、単に胸に描かれた絵が気持ち悪かっただけかもしれません。)
ただそれを最後に、本当にあっさりと断乳しました。6月末の事でした。
この断乳から、私自身が母子分離を意識した育児を始める事になりました。
つまり、私は何か物を取る為のクレーン(道具)ではなく人間であって、会話やコミュニケーションによって行動を決定していく事を子どもに教え始めたのでした。
※ただ、結局断乳によって食事の内容が向上する事はなく、偏食なのは感覚過敏がある為だと後々わかりました。それを知ってからは、断乳をこんなに早める必要はなかったな・・・というのが正直な気持ちです。
*1:今から思えば視覚優位だから胸に描かれた笑顔の絵は耳からの指示よりも視覚的訴求力が高く、理解がスムーズだったのですね。
子どもの発達障害に気付くまで 9(生後1歳3か月~)
~面談までの下調べなど~
とにかく(直感で)育てづらいと思った息子でしたが、何が具体的に育てづらいのか良くわかっていませんでした。
癇が強く、所構わず遊びを始め、一度始めると同じ事をずっとし続けて・・・。
子どもなんてこんなものでしょ?と言われる事もしばしばでしたが、私が短気すぎるのか・・・。
それにしても大人一人が動けなくなる程の外への興味・・・。
何かおかしい・・・
”育児放棄するんだ!”と思っても子どもの事を捨てきれず、しばらくネットや本で育児について調べてみようと思いました。
すると”育てにくい”や”寝ない”、”動き回る”といったキーワードで検索を始めるとすぐに『自閉症』という障がいについての記述がたくさん出てきました。
最初は「うちの子はこれではないでしょ?自閉症って相当重い状態なのでは?」と未だかつて触れた事がないこのキーワードに対する偏見というか無知さゆえに、それ以上の真実を知る事を躊躇っていました。
そんな思いのせいで、わざと自閉症には行き着かない検索をしてみたり、自閉症ではないと結論付けられたHPばかり見て自分を安心させていました。
でも、日に日に子どもの状態は悪化していくと言いますか・・・うまく表現出来ませんが、まさしく”心を閉ざしている”、そんな感じでした。*1
私と心がつながっていない、気になる物を自分の手の代わりに取ってくれるマシンとして私を見ている感じでした。
アイコンタクトもあまりなく、食べ物も白米以外はほとんど興味を示さず。
~地域の保健師との面談~
とにかく不安な気持ちや気になる状態を連絡していた保健師との面談日に伝えようと思いました。
面談は自宅に来てもらい、子どもの様子を見たり私の育児の様子の聞き取りを行うという方式でした。
そして当日一通り話を終えたのですが、おそらく保健師の方の判断は
”発達障がいと判断できる段階でもなく、育児方法にもっと工夫をするべきでは?”と思われたのかなと思います。
「この位のお子さんだとどの子もそんなものだと思います。」といった主旨(ショックが大きくて詳細な一言一句は忘れてしまいました)の内容でした。*2
近くの公園マップや地域の保育園、幼稚園での育児イベントのお知らせをいただいて、また何かあればいつでもご連絡下さいと言って帰られました。
私の育児ストレスが原因と思われたのかな・・・と何も変わらなかった事にショックでした。
ただ、この時少し腹が据わったと申しますか、
「結局誰も教えてくれない。誰も頼れないんだ。それなら自分で知るしかない。自分でこの子に何が起こっているのか良く観察しなくちゃいけない。」とぼんやり思ったのを覚えています。
一歳半健診目前でしたが、それまでにもう少し子どもの状態を整理してメモに残そうと思いました。
次では健診までの断乳の様子や健診の事をお話しさせて下さい。
【追記】(*この記事を最初に書いた2015年当時の追記です)
当時の写真を振り返っておりましたら、『3ヶ月毎日朝カレー』という事態がこの頃あった事を思い出しました。
偏食が全然改善されないまま、おにぎりも固形物と感じるのかほぐしたご飯としらす等しか食べない日々でした。そんな中、ある日試しに作ったカレーライスにはまってしまい、3ヶ月間毎日朝ごはん=カレーライスというのが続いたのでした。
そしてその終わりも突然で、季節の変わり目と共に突然朝カレーが終わり、その後は2ヶ月間連続で朝納豆→3か月間(ほぼ)毎日朝しらすご飯へと続いたのでした(^^;)
極端な偏食っぷりやこだわりは1歳3ヶ月の頃から既にありました、という記録でした。