ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

発達の凸凹への対応 2 ~愛着を考える 中編~(2歳2ヶ月~)

~愛着の為に怒る事を辞める~

前回の続きです。※非常に長文になりますので、お時間がおありの時にでもお読み下さると幸いです。

 

さて、愛着心を育む為にまず怒る事を辞めました。

結構日常的に叱っていたのでしょうね、当時は非常な努力と忍耐が必要でした(笑)が、一番最初に私が出来る事はこれしかありませんでした。

 

そもそも何故怒るのか?ですが、色々整理した結果*1

(1)多忙等で膝を突き合わせられないという焦りから、声で何とか制止したい

というのが一番の理由でした。その他にも

(2)言う事を聞いてくれない事へのいらだち

(3)しつけや世間体の為?

そして最後にもう一つだけ、

(4)本当に危険な場合

 

これらをピックアップし、もう一度よく内容を考えてみました。

 

~(1)忙しいから怒る?~

(1)については、

声で制止・威圧する困った場面では相手を威嚇すれば良い

という態度を子どもに教えている様なものではないか?と思えてきました。

というよりもそれ以外の何物でもないですよね^_^;

自分がこれまでに子どもにしてきた事が本当に恥ずかしくなった時でした。

 

そしてもう一つ、こんな風に多忙を理由にしてしまうなら、子どもに関わる事以外の全てを捨てようと決心しました。

友達や親兄弟と連絡をとる事も、夫の身支度に関する事や延いては家事でさえも全て辞めてしまおうと思いました。

 

私はもともとテレビはあまり興味が無い方ですが、多少ニュースを読んだり育児に関する読書や勉強くらいはしたかったのですが、でもそれも多忙の理由となるなら全て辞めてしまいました。

とりあえず向こう10年程は私自身の事については何も望まない、子どもが無事成長してくれるなら本望であると思いました。*2

 

~(2)いう事を聞いてくれないから?~

(2)については、

子どもが私の言う事を聞いてくれない   <   それ以上に私は一度だって子どもの言う事の方を優先して受け入れた事があっただろうか?

と考えました。

 

子どもが聞いてくれないのではなく、私の方こそ子どものいう事を聞いてこなかったのではないか?・・・と。

 

うまくいくかはわかりませんでしたが、子どもの望む要求を全て受け入れてみようと決めました。

 

その為に、12~13kgの子どもを3時間以上抱っこして歩き続けられる体力をつけ、同じ場所で何時間も遊び続ける事に付き合う忍耐力を少しづつでも良いので身につけていく努力をしていきました。

→過去記事で何度も書きましたが、子どもの遊びに付き合うだけなのにすぐに私自身の方が体調を壊していました。これ以上自分の体力のなさを理由にしてはいけないと感じていたからでした。

 

~(3)しつけの為?他の人が見ているから?~

(3)については、

例えば当時”お米を床にわざとばら撒く”という行為をよくやっていました。

それに対しすぐに「お米を撒いちゃダメでしょ!」と叱りつけていました。

でもこれって、理由の説明を省略してしまっているし、それに物事の考え方の手順を示していない事に気付きました。

 

生まれてまだ物の善悪の判断基準がない幼児にとって、楽しいからやった行為に〇/×がつくと理解出来るはずがないですよね。

それを怒られる事を繰り返し、善悪の基準や法則を自分で理解していくのだと思いますが、そういったセンスのある子どもは数回怒られる事によってアイコンタクトや親の表情から何となく理解していく能力が高いのだと思います。

 

でも、もしそうしたセンスや能力がまだ身についていないなら・・・今はまだその時ではないという事だと思います。

つまり躾は愛着が十分定着してから始めるものなのであろうと。

ですから、躾は当面見合わせて怒らずに理由を提示する事、それがもしまだ理解出来ない場合にはすり替え(今回のお米であれば代わりに手頃なあずきだとかおもちゃの玉などを渡し、「これなら(絨毯の上で)撒いても良いよ」と代替を用意する事)を多用していく事としました。

 

そして主に買い物時に何時間もおもちゃ売り場で居座ったりぐずる時に世間体を気にして

「おもちゃはお店のものでしょ!」

「もうママは帰るからね!」

と怒っていた事もあったのですが、それも辞めました

 

極力買い物には行かない、行くならおもちゃ売り場へ行く事を覚悟する、行ったら何か買う事も覚悟する。

 

そして一番の覚悟は、息子ではなく、私が誰かに怒られたり後ろ指を指される事を覚悟するという事でした。

 

 

・・・そうです。

私の躾が出来ていないのだから私が怒られるべきで、私が怒られたくないばかりに息子に対し叱っていたのだと気付いたのです。

ですから息子と足繁く通った電気屋さんのおもちゃ売り場へ行くたびに

『いつか必ず、出来れば20歳になるまでに息子に理解させますので、、、どうか今はお許し下さい。』

といつも心の中で思い、せめてもの罪滅ぼしに何かを購入する機会があればそちらのお店で買うようにしていましたね・・・。*3

 

~(4)本当に危険な場合~

(4)については、

これだけは怒る事も止む無しとしました。

というのも飛び出しがあったからです。

 

以前にも書いたと思いますが、玄関を勝手に開けて逃走したり、歩道を歩いていても手を振り払って走り出したりしていました。

 

命に係わる事だけは、『怒るほどの事なんだよ』という気持ちを理解してほしかった事もあり、叱る事もありました。

ただこれも愛着が定着したと思われる今となっては殆ど治まりましたので、もう怒る事はありません。

 

歩道で手を振り払う行為は3歳半頃になって治まったのですが(治まった経緯や方法はまたその頃の記事になりましたら書かせて下さい)それまでは外出時の私の心拍数は常に異常だったと今でも思います(^^;)

 

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(うわぁ・・・絵がザツですね(^^;)当時出かける前に前日の事を思い出してかなり急いで描いた記憶があります。)

ほとんど効果はなかっだですが、怒った後や何度も繰り返す困り事にはこういった絵を描いて理由を提示する様にしていました。

 

こんなしつけ絵本の様な下手なイラストだったからか、当時子どもは『うるさいな~』程度の反応しか示しませんでしたね。。。(→というよりも視覚優位な子どもに対し強いメッセージを与えながらも反論の余地も与えないというかなり一方的なやり方でしたネ( TДT)ゴメンヨー

今となっては反省です(笑)それにしても小学生になった今同じ絵を見せたらどんな反応をするのでしょうか(苦笑))

 

さて、この様に愛着の為に怒る事を考え直し、行動に移した結果、結構早く子どもに良い効果が現れてきました。

 

以前よりも圧倒的に笑顔が増えたのです。

 

当たり前ですよね、誰でもおこられたくはないです。

特に自己肯定感が低いとされる発達障がいの特性がある訳ですから尚更ですよね。

 

次第に『ママといるといつも楽しい』と感じてくれているのかも?と思える程に笑顔が増えていきました。この時は本当に『親としてこんな事も理解していなかった・・・母親失格だなぁ。』と思いました。

 

もしかすると息子は発達障がいではなく、愛着障がいの部分が多分にあったのでは・・・と今でも思います。

 

 

*1:以前のブログで癇癪泣きなどへの対応も含めて考察した記事があるのですが、当ブログに書くかサブブログに載せるかで少し悩んでいます。どちらかに決めたらUPさせて頂きたいと思っておりますのでその際はどうぞよろしくお願いします。

*2:結局今はこうしてブログも書けておりますし、友人や親兄弟くらいならメールのやり取りやみんなでお茶を飲んだりする時間も持てる様になってきています。あの時の決心が実ったのだろうなぁと改めて思います。

*3:今となればこの時と同じお店のおもちゃ売り場に20分もいません。というのもですね、もちろんおもちゃが好きだったから長居していたという事もありますが、どうやらミニカーや電車のおもちゃの名称や品番・型名を覚える為に何時間もいたらしいのです。2歳前後の当時はまだ漢字はほとんど読めず、ひらがな・数字だけを途切れ途切れに読んでいたので時間がかかった様でした。覚えてしまった今となっては、一瞥して「○番が新しくなった。」というチェック程度で気が済む様です。→こういう時のすり替えはカタログや図鑑を渡すと良いのかな?と今になればわかります

発達の凸凹への対応 2 ~愛着を考える 前編~(2歳2ヶ月~)

※この”愛着を考える 編”、以前のブログでは1記事にまとめて書いたものですが、長すぎるので少し分けてUPさせて頂きます<(_ _)>

 

~愛着とは~

さて、子どもが2歳を過ぎた頃の振り返り記事の続きです。

当時の私は家庭療育を進めて行こうと意気込んでみた訳ですが、そうはいうもののはてさて?ちょっと困ったゾ、といった境地にすぐ陥りました。

そもそも『愛着』ってどういう事なのか?と疑問に思った訳です。

 

当時すぐにWikipediaさんの愛着理論 - Wikipediaのページを読みましたが今一つピンときませんでした。*1

私が思う『愛着』とは、普段は母親の事なんか顧みなくてもいいけれど、いざという時(危ない時や大事な時)くらいは母親の言う事を信じる気持ちといった事を考えていました。

 

でも実際にはそんな気持ちは息子から感じられず、毎日振り回されていました。

外遊びや水遊び・・・楽しい事をさせてあげたくても、道路で私の手を急に振り払って走り出したり、大勢の人の中でパニックを起こして私の元から走り去る状態では楽しい事を優先出来ない状態でありました。

 

だからこのいざという時に親の事を信じる気持ちを何とか息子が持てる様にしていきたいと思ったのが、『まずは愛着を育てる』という考えに至りました。

 

 

では具体的にどの様な事を導入していったのかは次回ご紹介させて下さい。

 

*1:今は少し内容が加筆されている様で、(もちろん私の知識も少し増えた事もあるかもしれませんが)当時よりもわかりやすい内容になっています。当時書かれたご担当の方、ピンとこなくてすみませんでした。

発達の凸凹への対応 1 ~目標を立てる 編~(2歳2ヶ月~)

~好きな事を通じて子どもを伸ばしていく事~ 

子どもの発達障害に気付くまで 33で書きましたが、まず最初は”好きな事を通じて伸ばしていく”という事を始めてみようと思いました。

 

当時思いつく息子が『好きな事』と言えば
・電車、車、乗り物系
・太鼓をモチーフにしたゲーム(お買い物等でこのゲームの前を通ると何時間も居座りました。)
・水遊び
・魚
・数字、アルファベットなどの文字

くらい。いきなりこれらをすぐに生かせる方法が思いつかなかったです(;´Д`)


ひとまず暑い時期であった為、日中は水遊び夕方少し涼しくなってから電車の見える公園で電車を眺める日々を繰り返しました。
(プール等での水遊びは、まだこの年は水そのものに入るよりも水に触れて遊ぶ事がメインでした。)


又、雨や暑さが厳しすぎる日は水族館へ行き、何時間も魚を眺めて帰ってくる日々でした。

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大きい魚にも少しづつなれてきた頃です。

 

でもたったこれだけの事でしたがこうした事を続けるうちに少しづつ笑顔の日々が増えていきました。

(この過去記事を一番最初に書いた頃に当時の写真を振り返る事がありましたが、たった2~3ヶ月の間で本当に笑顔の写真が増えていく様子に驚いた記憶があります。)

 

 

~目標は自分なりに出来る事を~

以前より少しづつですが発達障がいについて勉強していた事を整理し、以下の様なやるべき事をピックアップしました。
その中で優先順位をつけ、

(1)愛着の形成
(2)怒らない=自己評価の改善、自己肯定感の育成
(3)感覚過敏・鈍麻への取り組み
(4)視覚優位への対応
(5)環境を整える
(6)予定の提示
(7)体の動かし方、運動機能の向上

 

この様な順番で実行していく事にしました。


本当は(3)の感覚過敏や鈍麻への取り組みを一番最初に進めていきたかったのですが、具体的な方法が私にはわかりづらくいつまでも疑問に残ったままでした。


この感覚過敏(鈍麻)によって息子は普段の生活の中で他人にはわからない苦痛や不快な思いをどうやら感じてしまうらしく、それが愛着の形成や不器用さなどにも大きく影響している事は安易に想像できました。だからこの感覚の不安定さを早急に何とかしてやらなければいけないなぁと感じていました。

 

ただわかっていても具体的にどうすれば良いのかわかりにくいもどかしさが当時はありました。

そこで、『今は出来る事からはじめよう』と、(1)愛着の形成や(4)視覚優位への対応・(6)予定の提示等から始めていきました。

 

次回以降、詳細をお話しさせて下さい。

子どもの発達障害に気付くまで 0(妊娠超初期~出生前)

『子どもの発達障害に気付くまで』シリーズ最後の記事です。

今回は出産前まで少し遡って、妊娠超初期の特記事項を備忘録程度に記録させて下さい。

 

 

~つわりで転倒~

あれが”つわり”、と言うのが正しいかどうか?実は今でもわからない程の事ですが、『あれ?少し遅れている・・・そろそろ妊娠検査薬を使ってみようかな。』と思い始めた頃の事です。

 

その日は朝から何となく胃が重く、貧血気味の様でした。

もともと私は体温があまり高くなかった為、手足の冷たさは常に感じていたのですが、夏にもかかわらず最近手足が冷えるなぁ・・・とは感じていました。

 

体調に微妙な変化はあるものの、せっかくの休日でしたのであまり気にせず夫と外出しました。

出る前に少し体調の事は夫に伝えたのですが、「無理しないで。」と言ってくれた事で逆に無理してしまいました。

 

とある駅で降りた瞬間、急に気分が悪くなり急いでトイレを探しました。

夫も慌てて探してくれたのですが、しかしそこはプラットホームにある駅長室でした。

『さすがにそこは嫌なのよ~、なんでわかってくれないのーーー(>_<)女子トイレを探してよーーー!!!』と心の中では叫んでいましたが、実際には声も出せない状態。

何とか必死にジェスチャーで拒否しながら階段をかけ上っていると、途中で胃の不快感が限界に・・・達してしまいました。。。

 

全身の血液が胃に集中してしまったのでしょうか?次の瞬間、一瞬にして貧血を起こし立っていられなくなりそのまま階段途中から転倒し転げ落ちたそうです。(この辺りから自分の記憶がありません^_^;)

 

 

~病院の救急処置室にて~

救急隊員さんに運ばれるのを感じながら意識を失い、気付けば後頭部の怪我の処置中でした。

「大丈夫だからね、今縫い合わせているからね。」と先生らしき方の声がするのですが、あまり痛みは感じずまだボーっとしていました。

少し意識が戻ったところで

「ボクは脳神経外科の医師です。救急で運ばれてきたからとりあえずこの頭の傷を閉じているよ。もうすぐ終わるからね。」と私に向かって話して下さいました。

 

その直後看護師さん達に向かって、「MRI(だったかCTのどちらかだったと思います)用意して。」とおっしゃったので慌てて

「ダメ、ダメです!」とだけ辛うじて言えました。

すぐに子どもの事を思いました。もし妊娠していたら影響があるのでは?と咄嗟に思えたからです。

「急に吐いて倒れたのだから、頭部の写真をみなくちゃいけないと思うよ。」と先生に言われたのですが、

「私、妊娠しているかもしれません。」と何とか先生にお伝えすると、

「あー、もしかして”つわり”で吐いちゃったの?

で、たまたま場所が悪くて階段から落ちて怪我したかもしれないの?」と先生は事の状況を理解してくれました。

 

すぐさま看護師さん達が夫に確認していましたが、まだ予定から1週間程しか遅れていなかったので夫には話していませんでした。

夫はかなり驚いた様子でしたが、妊娠よりも目の前の状況に対応するだけで必死といった感じでした。

 

そういった経緯でしたので、その日は処置だけして帰り

「落ち着いたら検査しましょう。とりあえず傷口の経過を見たいので、通院して下さい。」という事になりました。

 

 

~やっぱり妊娠していました~

翌日、早速検査薬で確認するとやっぱり陽性。

息子は着床期から激しい子だったのですネ。

(余談ですが、マタニティマークってこういう事があるから絶対に必要だと思います。万一急に倒れた時に医療関係者に一目でわかっていただけるメリットは大きいと思います。)

 

そんな経緯でしばらくの間は通院していたのですが、傷口の経過が良くなくて再度切開して再縫合*1を行い、妊娠4ヶ月中頃まで治療が続きました。

 

『この時の転落が生まれてくる子どもに影響しません様に・・・』と願いつつも、もしかしたら何らかの影響があったのでは?と時折思う事もあります。

 

ですので一応こうして記録しておきたいと思います。

 

 

~その他の異常~

妊娠後期に足のむくみがあった事と、実は出産のすぐ直前にあの東北の大震災がありました。

震災の当時は関東地方に住んでいました。地震の時はマンションの7階部分に住んでいましたので、張り出したお腹を支えながら揺れる非常階段を何度も上り下りしては不安な日々を過ごしていました。

そんな不安感からか予定よりも1週間以上遅れてしまいましたが、無事何とか出産を終えたのでした。

 

そして『子どもの発達障害に気付くまで 1』 

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 へと至るのでした。

 

 

では、次回からは子どもの発達障がいに対して自分なりに家庭療育を進めていった事などを記録させていただきたいと思います。

 

*1:なんとこの時は赤ちゃんへの影響を考慮してか殆ど麻酔無しで処置を行いました。なので切開も縫合も泣き叫ぶ程の痛みでした>_<

子どもの発達障害に気付くまで 34(生後2歳2か月~2歳5か月)

~家庭での取り組み~

 前回ではようやく療育へとたどり着けたお話しをさせていただきました。

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 

でも”療育のプロにお任せすればOK!”とは思えませんでした。逆に『それで終わりじゃないな』、と思っていた私は家庭療育もどんどん進めて行こうと決めました。

 

そうした経緯で子どもがプレに通っている間に私が勉強した中で、療育前からいくつか家庭でも始めてみた取り組みがありました。

 

・視覚優位への対応

・環境を整える

・予定の提示

・感覚過敏への取り組み

・怒らない=自己評価の改善

・愛着の形成

・体の動かし方、運動機能の向上

等々です。

 

次回以降はそういった取り組みとその結果について記録させていただきたいなと思います。

 

 

~客観的な評価として~

わざわざ書き残す程の事ではないかもしれませんが、当時受けました新版K式発達検査2001の結果を記録させて下さい。

*姿勢・運動→90台

*認知・適応→70台

*言語・社会→90台

===============

*総合→85

という評価でした。

つまり『認知・適応』(目で見て模倣したり*1、指示された事に従ったり一緒に執り行う能力の部分)が他に比べて低いという結果でした。

 

問題は指数そのものよりも、出来る事と出来ない事の差が大きい事でした。

以後、この出来る事を通じていかに出来ない事を緩和していくのかを目標にしていきました。

 

*1:子どもが大きくなった今となれば良くわかりますが、おそらく感覚過敏が強すぎて、他人に触れたり触れられたりする事が辛すぎた事は模倣力に大きく影響していると思いますし、目の使い方なんかもこうした能力に大きく影響を与えていたのだと思います。当時がそうした過敏さに対して真っ先に改善したいと直感的に感じ始めた頃でした。