発達の凸凹への対応 2 ~愛着を考える 前編~(2歳2ヶ月~)
※この”愛着を考える 編”、以前のブログでは1記事にまとめて書いたものですが、長すぎるので少し分けてUPさせて頂きます<(_ _)>
~愛着とは~
さて、子どもが2歳を過ぎた頃の振り返り記事の続きです。
当時の私は家庭療育を進めて行こうと意気込んでみた訳ですが、そうはいうもののはてさて?ちょっと困ったゾ、といった境地にすぐ陥りました。
そもそも『愛着』ってどういう事なのか?と疑問に思った訳です。
当時すぐにWikipediaさんの愛着理論 - Wikipediaのページを読みましたが今一つピンときませんでした。*1
私が思う『愛着』とは、普段は母親の事なんか顧みなくてもいいけれど、いざという時(危ない時や大事な時)くらいは母親の言う事を信じる気持ちといった事を考えていました。
でも実際にはそんな気持ちは息子から感じられず、毎日振り回されていました。
外遊びや水遊び・・・楽しい事をさせてあげたくても、道路で私の手を急に振り払って走り出したり、大勢の人の中でパニックを起こして私の元から走り去る状態では楽しい事を優先出来ない状態でありました。
だからこのいざという時に親の事を信じる気持ちを何とか息子が持てる様にしていきたいと思ったのが、『まずは愛着を育てる』という考えに至りました。
では具体的にどの様な事を導入していったのかは次回ご紹介させて下さい。
*1:今は少し内容が加筆されている様で、(もちろん私の知識も少し増えた事もあるかもしれませんが)当時よりもわかりやすい内容になっています。当時書かれたご担当の方、ピンとこなくてすみませんでした。
発達の凸凹への対応 1 ~目標を立てる 編~(2歳2ヶ月~)
~好きな事を通じて子どもを伸ばしていく事~
子どもの発達障害に気付くまで 33で書きましたが、まず最初は”好きな事を通じて伸ばしていく”という事を始めてみようと思いました。
当時思いつく息子が『好きな事』と言えば
・電車、車、乗り物系
・太鼓をモチーフにしたゲーム(お買い物等でこのゲームの前を通ると何時間も居座りました。)
・水遊び
・魚
・数字、アルファベットなどの文字
くらい。いきなりこれらをすぐに生かせる方法が思いつかなかったです(;´Д`)
ひとまず暑い時期であった為、日中は水遊び、夕方少し涼しくなってから電車の見える公園で電車を眺める日々を繰り返しました。
(プール等での水遊びは、まだこの年は水そのものに入るよりも水に触れて遊ぶ事がメインでした。)
又、雨や暑さが厳しすぎる日は水族館へ行き、何時間も魚を眺めて帰ってくる日々でした。
大きい魚にも少しづつなれてきた頃です。
でもたったこれだけの事でしたがこうした事を続けるうちに少しづつ笑顔の日々が増えていきました。
(この過去記事を一番最初に書いた頃に当時の写真を振り返る事がありましたが、たった2~3ヶ月の間で本当に笑顔の写真が増えていく様子に驚いた記憶があります。)
~目標は自分なりに出来る事を~
以前より少しづつですが発達障がいについて勉強していた事を整理し、以下の様なやるべき事をピックアップしました。
その中で優先順位をつけ、
(1)愛着の形成
(2)怒らない=自己評価の改善、自己肯定感の育成
(3)感覚過敏・鈍麻への取り組み
(4)視覚優位への対応
(5)環境を整える
(6)予定の提示
(7)体の動かし方、運動機能の向上
この様な順番で実行していく事にしました。
本当は(3)の感覚過敏や鈍麻への取り組みを一番最初に進めていきたかったのですが、具体的な方法が私にはわかりづらくいつまでも疑問に残ったままでした。
この感覚過敏(鈍麻)によって息子は普段の生活の中で他人にはわからない苦痛や不快な思いをどうやら感じてしまうらしく、それが愛着の形成や不器用さなどにも大きく影響している事は安易に想像できました。だからこの感覚の不安定さを早急に何とかしてやらなければいけないなぁと感じていました。
ただわかっていても具体的にどうすれば良いのかわかりにくいもどかしさが当時はありました。
そこで、『今は出来る事からはじめよう』と、(1)愛着の形成や(4)視覚優位への対応・(6)予定の提示等から始めていきました。
次回以降、詳細をお話しさせて下さい。
子どもの発達障害に気付くまで 0(妊娠超初期~出生前)
『子どもの発達障害に気付くまで』シリーズ最後の記事です。
今回は出産前まで少し遡って、妊娠超初期の特記事項を備忘録程度に記録させて下さい。
~つわりで転倒~
あれが”つわり”、と言うのが正しいかどうか?実は今でもわからない程の事ですが、『あれ?少し遅れている・・・そろそろ妊娠検査薬を使ってみようかな。』と思い始めた頃の事です。
その日は朝から何となく胃が重く、貧血気味の様でした。
もともと私は体温があまり高くなかった為、手足の冷たさは常に感じていたのですが、夏にもかかわらず最近手足が冷えるなぁ・・・とは感じていました。
体調に微妙な変化はあるものの、せっかくの休日でしたのであまり気にせず夫と外出しました。
出る前に少し体調の事は夫に伝えたのですが、「無理しないで。」と言ってくれた事で逆に無理してしまいました。
とある駅で降りた瞬間、急に気分が悪くなり急いでトイレを探しました。
夫も慌てて探してくれたのですが、しかしそこはプラットホームにある駅長室でした。
『さすがにそこは嫌なのよ~、なんでわかってくれないのーーー(>_<)女子トイレを探してよーーー!!!』と心の中では叫んでいましたが、実際には声も出せない状態。
何とか必死にジェスチャーで拒否しながら階段をかけ上っていると、途中で胃の不快感が限界に・・・達してしまいました。。。
全身の血液が胃に集中してしまったのでしょうか?次の瞬間、一瞬にして貧血を起こし立っていられなくなりそのまま階段途中から転倒し転げ落ちたそうです。(この辺りから自分の記憶がありません^_^;)
~病院の救急処置室にて~
救急隊員さんに運ばれるのを感じながら意識を失い、気付けば後頭部の怪我の処置中でした。
「大丈夫だからね、今縫い合わせているからね。」と先生らしき方の声がするのですが、あまり痛みは感じずまだボーっとしていました。
少し意識が戻ったところで
「ボクは脳神経外科の医師です。救急で運ばれてきたからとりあえずこの頭の傷を閉じているよ。もうすぐ終わるからね。」と私に向かって話して下さいました。
その直後看護師さん達に向かって、「MRI(だったかCTのどちらかだったと思います)用意して。」とおっしゃったので慌てて
「ダメ、ダメです!」とだけ辛うじて言えました。
すぐに子どもの事を思いました。もし妊娠していたら影響があるのでは?と咄嗟に思えたからです。
「急に吐いて倒れたのだから、頭部の写真をみなくちゃいけないと思うよ。」と先生に言われたのですが、
「私、妊娠しているかもしれません。」と何とか先生にお伝えすると、
「あー、もしかして”つわり”で吐いちゃったの?
で、たまたま場所が悪くて階段から落ちて怪我したかもしれないの?」と先生は事の状況を理解してくれました。
すぐさま看護師さん達が夫に確認していましたが、まだ予定から1週間程しか遅れていなかったので夫には話していませんでした。
夫はかなり驚いた様子でしたが、妊娠よりも目の前の状況に対応するだけで必死といった感じでした。
そういった経緯でしたので、その日は処置だけして帰り
「落ち着いたら検査しましょう。とりあえず傷口の経過を見たいので、通院して下さい。」という事になりました。
~やっぱり妊娠していました~
翌日、早速検査薬で確認するとやっぱり陽性。
息子は着床期から激しい子だったのですネ。
(余談ですが、マタニティマークってこういう事があるから絶対に必要だと思います。万一急に倒れた時に医療関係者に一目でわかっていただけるメリットは大きいと思います。)
そんな経緯でしばらくの間は通院していたのですが、傷口の経過が良くなくて再度切開して再縫合*1を行い、妊娠4ヶ月中頃まで治療が続きました。
『この時の転落が生まれてくる子どもに影響しません様に・・・』と願いつつも、もしかしたら何らかの影響があったのでは?と時折思う事もあります。
ですので一応こうして記録しておきたいと思います。
~その他の異常~
妊娠後期に足のむくみがあった事と、実は出産のすぐ直前にあの東北の大震災がありました。
震災の当時は関東地方に住んでいました。地震の時はマンションの7階部分に住んでいましたので、張り出したお腹を支えながら揺れる非常階段を何度も上り下りしては不安な日々を過ごしていました。
そんな不安感からか予定よりも1週間以上遅れてしまいましたが、無事何とか出産を終えたのでした。
そして『子どもの発達障害に気付くまで 1』
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
へと至るのでした。
では、次回からは子どもの発達障がいに対して自分なりに家庭療育を進めていった事などを記録させていただきたいと思います。
*1:なんとこの時は赤ちゃんへの影響を考慮してか殆ど麻酔無しで処置を行いました。なので切開も縫合も泣き叫ぶ程の痛みでした>_<
子どもの発達障害に気付くまで 34(生後2歳2か月~2歳5か月)
~家庭での取り組み~
前回ではようやく療育へとたどり着けたお話しをさせていただきました。
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
でも”療育のプロにお任せすればOK!”とは思えませんでした。逆に『それで終わりじゃないな』、と思っていた私は家庭療育もどんどん進めて行こうと決めました。
そうした経緯で子どもがプレに通っている間に私が勉強した中で、療育前からいくつか家庭でも始めてみた取り組みがありました。
・視覚優位への対応
・環境を整える
・予定の提示
・感覚過敏への取り組み
・怒らない=自己評価の改善
・愛着の形成
・体の動かし方、運動機能の向上
等々です。
次回以降はそういった取り組みとその結果について記録させていただきたいなと思います。
~客観的な評価として~
わざわざ書き残す程の事ではないかもしれませんが、当時受けました新版K式発達検査2001の結果を記録させて下さい。
*姿勢・運動→90台
*認知・適応→70台
*言語・社会→90台
===============
*総合→85
という評価でした。
つまり『認知・適応』(目で見て模倣したり*1、指示された事に従ったり一緒に執り行う能力の部分)が他に比べて低いという結果でした。
問題は指数そのものよりも、出来る事と出来ない事の差が大きい事でした。
以後、この出来る事を通じていかに出来ない事を緩和していくのかを目標にしていきました。
*1:子どもが大きくなった今となれば良くわかりますが、おそらく感覚過敏が強すぎて、他人に触れたり触れられたりする事が辛すぎた事は模倣力に大きく影響していると思いますし、目の使い方なんかもこうした能力に大きく影響を与えていたのだと思います。当時がそうした過敏さに対して真っ先に改善したいと直感的に感じ始めた頃でした。
子どもの発達障害に気付くまで 33(生後2歳2か月~2歳5か月)
~保健センターでの発達相談~
やっぱりもう一度相談してみようと保健センターへ連絡し、すぐに保健師さんと面談しました。
前回とは違い、「では一度発達相談をしてみましょう」という事でこちらもすぐに面談予約をしていただけました。
予約から待つこと3週間程。発達相談の為に地域の保健センターへ行きました。
『発達相談って何をするのかな?』と受ける前は想像がつきませんでしたが、要するに発達検査の簡易版の様なもので、1歳半検診時に集団で受ける発達検査よりはもう少し複雑なものといった感じでした。
その担当の方はどういった肩書の方かはわかりませんが(おそらく臨床心理士さんの様な立場の方だと思います)、検査を受けた後、次のようにおっしゃいました。
「そうね・・・、確かにちょっと指示が通りにくいかも?」
とつぶやかれたのです。
『指示が通りにくい』=つまり普段の生活に置き換えるなら、なかなか親や周囲の大人の言う事を聞かない(相手が言っている通りに出来ない)
であるとは、まだこの頃の私は理解していませんでしたが、このつぶやきを何故か今も鮮明に記憶しています。
直感で”キーワード”なんだと理解しました。
この発達相談の結果を受けて、「今度は発達センターで本格的な検査を受けてみましょう」という事になりまして、そちらの日程も組んでいただきました。
ただ、その日程も1ヶ月程先の予定となってしまいましたので、
「その間、この子とどの様に過ごしていけば良いでしょうか?」とこの担当の方にお尋ねしました。
すると
「そうね、こういったタイプの子は遊びを通じて伸ばしてあげるのが一番かな~?と思いますョ。」と朗らかにお答え下さいました。
私は思わず「え!?遊びですか??」と即答してしまいましたが、
「そうよ、好きな事で伸ばしてあげるのが一番だと思います。」ととても柔和な表情でおっしゃられたのが今でも忘れられません。
~異口同音~
そしてその翌日。
その日はインターナショナルスクールの教室の日でした。
教室に息子を迎えに行った際に担当の先生とお話しする時間が頂けたので(発達相談を受けた事はまだ伝えないまま)、先生に日々荒れ狂う息子の園での様子を伺いました。
先生は嫌なお顔は何一つなさらないでお答え下さったのですが、やはり聞いているだけで園でもあまり良い状態ではない事が察せられる内容でしたので
「私はこの子にどういった対応をしていけばよろしいのでしょうか?何かアドバイスをいただけると助かります。」と子どもへの接し方の助言を求めました。
すると
「『好きな事』を通じて取り組んでいくのが一番伸びるタイプだと思います。」と即答されたのです。
~運命の出会い~
2日連続で、しかも別の方から同じ言葉を受ける事になり、、、この時は本当に強い衝撃を受けました。
それはまるで脳を雷が貫く様な強い衝撃でした。
『好きな事で伸ばす』とはどういう事か・・・。
この後、真剣に考え取り組んでいく事となりました。
『遊びの中から、でもただ遊ぶだけでなくその中に伸ばすポイントを探しながら接していくという事なのかしら・・・とりあえず出来る事からやってみよう。』
と、手探りで色々とやってみる事に決めました。
ですから表題にあります運命の出会いとは、『好きな事で伸ばす』というキーワードとの出会いであり、この言葉を教えて下さった二人との出会いでもあります。
この後、保健センターの担当の方とはもうお会いする事はありませんでしたが、プレの先生方とは色々なアドバイスを受けながら息子の成長を見守っていただく様になりました。
~発達センターでの検査~
※〇〇センターと続いて非常にややこしいですネ、すみません(^^;)正式名称ではありませんので余計に混乱させてしまいそうですが、
『保健センター』(=地域によっては保健所という位置づけの施設です。最初に連絡した保健師さん達がいらっしゃる地域の窓口になる拠点です。)
↓
『発達センター』(=地域によっては児童福祉施設であったり、発達障がい者支援施設であるかもしれません。専門性の高い小児科や児童精神科の医師や臨床心理専門の方々、そして療育部門も備えられている拠点です。)
という順で受診しました。
さて、この発達センターでは臨床心理士による新版K式発達検査で1時間半程度の内容を受けました。
その結果を受け、今度は医師による正式な診断を受けてみましょう(=つまり何らかの発達の凸凹が疑われる)という事になりましたが、なんとその予約は数年先という事でした。
ただし、「医師の面談を待つ間でも療育は始められます」という事でしたので進めて頂く事になりました。*1
*1:”未診断でも療育を受けられる”というのは当時思いもよりませんでしたので、大変救われた気持ちになった事を思い出します。診断以前に療育を受けられるかは地域によって差がある部分かもしれませんが振り返るとやはり早期療育の重要性はとても感じますので、人材や施設の確保など難しい点がたくさんあると思いますが、保育園の待機児童問題と同じ様に必要とされている方が適切に利用出来る様になると良いですね。