ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

子どもの発達障害に気付くまで 32(生後2歳~2歳1か月)

~2歳当時の特記事項として~

子どもが2歳~2歳1ヶ月当時の振り返り記事の続きです。

主に記憶力について、備忘録程度に残しておきたいと思います。

 

インターナショナルスクールのプレに通っていた事も影響していたのでしょうか、

数字の1~10は1歳8ケ月で記憶(「4はどれ?」と聞くと指差して答えていました。発音はそれより遅れて2歳過ぎに)、

アルファベットは2歳1ヶ月、

ひらがなもほぼ同時期、

カタカナは2歳4ヶ月で理解(アルファベット~カタカナについては発音も同時期)していました。

 

カタカナについては私ども親が教えた記憶が全くなくて、ひらがなの五十音表とカタカナの五十音表を見比べてひらがなと同じ位置にあるカタカナはその位置のひらがなと同じ音で異なる表記方法なのだと自力で法則を理解した様です。

 

 前回のハイキングから数日後、さすがに疲労からか息子が風邪をひいた事がありまして、しばらく家で安静にしていた頃がありました。

その際に自分でひらがな絵本をひろげて上記の様に見比べては、2~3日でカタカナを覚えてしまったのでした。*1

 

しかしこうした文字などへの理解はスムーズなのに対して、人の表情への理解はとても遅い子でした。

特に表情などは同じ様に視覚的にわかりやすいと思われるのですが、結局4歳近くになっても喜怒哀楽程度の簡単な表情しか判別できませんでした。*2

 

 

 ~不安な要素~

当時はこうした記憶力の良さも何故か異常な事の様に感じてしまい、これも保健センターへ足を運ぶ一つの理由となりました。 

前回のハイキングの件やこうした文字は読めるのに人の気持ちが読めない息子の様子をもう一度伝えてみようと思い、風邪が落ち着いた頃に保健センターへ相談してみました。

 

さて、この『子どもの発達障害に気付くまで』シリーズも次回でやっと一区切りとなります。(以前のブログの約2倍の長さとなってしまいました^_^;長々と書きましてすみません。ここまでお付き合いありがとうございました<(_ _)>)

 

それでは次回は保健センターへ相談に行ったお話しをさせて下さい。

 

*1:何年か後に読み返してみたので後日談を追記させて下さいね。

そうそう、こうしたエピソードがあったからてっきり息子は視覚的にわかりやすい情報で物事を推測していく、いわゆる”視覚優位タイプ”だと思い込んでいたのですが成長とともにもっと別の部分が後々に成長していった様です。後に受けた発達検査などの結果を見ると「あれ?」と思う様な発達を遂げていく事になります。

といっても基本的な性格の部分は相変わらず変わらない我が道を行くタイプのままです(^▽^;)

*2:5~6歳のあたりから、『相手が困っているのかな?』とか『イライラしているのかな?』といった事まで表情や声色などを総合的に判断して理解出来る様になってきました。

子どもの発達障害に気付くまで 31(生後2歳~2歳1か月)

※どうも引っ越し以後通信回線が不安定な様で、なかなか思う様に更新出来ない日もあります(>_<)。大変恐縮ですが、当面の間は更新頻度が不定期であったり以前のブログでは一度にUPしていた内容を半分程度に分割して更新していく事になるかと思いますのでゆっくり更新ですが引き続きどうぞよろしくお願いします<(_ _)>

 

~生活の乱れ~

子どもが2歳当時の振り返り記事です。

 ↓前回お話しさせていただきましたが、

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 子どもの感覚過敏(鈍麻)というキーワードに初めて出会い、内容を少しづつ理解していった頃でした。

 

その矢先にそうした感覚の鋭さ故に悩まされる事が起き始めました。

 

 

季節は初夏になり始めた頃。

『生活の乱れ』小見出しに書きましたが、正確には乱れていった訳ではないのです。

春から夏にかけて徐々に息子の起床時刻が早まっていったのです。

 

それまでは7:00~22:00が息子の生活時間でした。*1

が、5:30~22:00と就寝時刻はかわらないまま起床時刻が早くなってしまいました。しかも既にお昼寝もしない事も多く、明らかな睡眠不足で不機嫌になる事もしばしばでした。

 

そんな息子の体調を考慮し、当時出来るだけ体力を削らない様にベビーカーか車に乗せて昼寝を確保しようと必死でした。しかし子どもの体調を最優先で行動した結果、また暑い時期へ向かうにつれ私の体調がもたなくなりました。

 

子どもが昼寝をしている間も私は家事もしくは運転。。。

夫の帰りは毎日21時頃・・・。

私たち家族はまた1年前と同じようにデススパイラルに飲み込まれようとしていました。。。

 

そしてとうとう精神的にも体力も限界を超えてしまう出来事が起こりました。

 

 

~限界→その後保健センターへ再度連絡する事を決める~

それはゴールデンウィーク中の事です。

その日は以前から計画していたトーマスのラッピング電車に乗りに行く事に。

天気もよく初夏を思わせる暑さでした。

 

目的の駅につくと可愛らしいイラストの描かれた電車に乗って大喜びの息子。沿線上の各駅にも途中下車する事が出来、可愛らしいイラストをたくさん見られてとても楽しい思い出となりました。

 

しかし終点で下車した駅で目に留まったのが”ハイキングコース”の文字。本来は電車に乗ってイラストを見て回るだけのつもりでしたが、とても心地よいお天気でしたので少しだけ足を延ばしてみる事にしました。

 

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最初は平坦なコースが続いたので

「良いお天気で良かったね。でもそろそろどこかキリの良い所で引き返そうか?」

なんて話していた矢先です。

途中から森の様な雰囲気に変わり始めたと思ったら、道もほんの少し傾斜がつき始めました。

 

そこで突然息子のエンジンがかかりました。

つまり、山をグングン登り始めたのです。*2

 

おそらく感覚過敏(不確かですが前庭感覚かな?と思います)に起因する反応で、こうした少しの傾斜に敏感に反応する特性が出たのです。*3

 

他のお子さん連れの方も沢山いらしたのであまり不安に思わず歩いていたのですが、途中から本格的な山道になり装備面等で不安を感じ始めました。

 

何度か「そろそろ戻ろう」と息子に伝えました。

しかし一向に制止を聞いてくれない息子は坂をほとんど自力で登り切り、休憩所でお弁当休憩もそこそこ、また一気に降りてきました。

 

『2歳1ヶ月で(確か)往復6km強を歩き切るなんてごく普通の事なの?それも結構な山道なのに・・・』というのが当時の私の正直な感想でした・・・。

(今ならもっと純粋に褒めてあげられるのに、当時はそんな余裕が全くありませんでした。)

 

私と夫はヘトヘトでした。*4

一方の息子はといえば、大人二人がぐったりしている横で全く平気な様子・・・表情も楽しかったのかしんどかったのかさえもわからない、ほとんど無表情な様子。それより何より親の言葉を全く聞いてくれない様子。*5

 

こうした疲れ知らずな点と危険時に従ってくれない点に強く不安感を抱き、『やっぱりもう一度保健センターへ相談してみよう』と思うに至りました。

 

 

*1:2歳前なのに22時では遅いのは十分承知でしたが、無理矢理何とか22時に寝かせていた感じです。

*2:その山ですが、たぶん息子が小学生の今でしたらとても良いハイキングコースになると思います。最近も「また近々一度登ってみようよ」なんて会話が出るくらい清涼感のある清々しいお山でしたし、距離としても丁度良い長さなんです。

 

でも登山を軽んじた不十分な準備と、まだ当時2歳だった息子とまだまだ誰かをサポートするには軟弱すぎた私たち親にとってはとても厳しい登山となってしまいました。

*3:この斜面に対する特性は長じた今でも強くありまして、特に下り坂ではかなり強い刺激になる様で危険だとわかっていても走り出してしまいます>_<

*4:私たち夫婦の体力がなさすぎる、の一言に尽きると思います(笑)が、少なくとも私自身は新婚旅行先で山登りしてしまうくらい登山が好きで、この山も息子に付き合うくらいの体力はあると思っていました。

*5:今となればわかりますが、表情が追い付いていなかっただけでおそらく楽しかったのだと思います。充足感の中で多少興奮ぎみのあまり、外から聞こえる親の声もあまり耳に入らなかったのかなと思います。

子どもの発達障害に気付くまで 30(生後2歳~2歳1か月)

~発達障がいへの理解~

過去の振り返り記事の続きです。

 

週に2日、息子がプレに通っている間に私はせっせと発達障がいについてネットやHP、関連書籍を読み漁りました。

プレに通い始めるまでは日中はほとんど息子から目が離せず、私自身の食事やトイレもままならない状態で、夜は夜で極端に眠りが浅く寝入った後も少しでも離れると起きだす子でしたので、ようやくこうして得られた時間を大切に過ごしました。

 

その当時は

自閉症

というキーワードで調べる事が多かったです。*1

 

それまでに知った情報で大まかな内容は理解していたつもりでも、感覚過敏という言葉はこの勉強の時間の中で初めて知った事でした。

 

 

~感覚過敏を薄っすらと理解し始めた頃~

「『自閉症スペクトラム』のお子さんってどんな特徴なの?」と聞かれると実はなかなか答えにくい事もあります。と言いますのも『100人いれば100通り』とよく言われる程、人によって様々な生き辛さや成長の凸凹が異なる事も多いからです。

 

ですのでもし「息子さんってどんなタイプなの?」と聞かれると、おそらく真っ先にお答えするのがこの感覚過敏という特徴です。

 

この当時に感覚過敏を理解し始められた事で、その後息子の生き辛さを知る大きな力となりました。

 

 

感覚過敏の中でも息子に当てはまったのが

(1)聴覚の過敏さーーー非常に聴覚の聞こえが良く、例えば毎日の散歩道で新幹線の線路近くを通る際は新幹線が付近を通過する2~3分前から線路を指差す事がありました。(その他にも洗濯機の音・煮物の音(ぐつぐつというあの音)・工事の音・掃除機の音・鳥の鳴き声なども良く聞こえる音だった様です→3歳頃に本人がそう言っていました。)

 

(2)口腔内の過敏さーーー食感(触感)異常で多くの偏食があります。

 

(3)皮膚感覚の過敏さーーー触られる事が苦手で、手をつなぐ事も嫌がります。又、直接触れなくても太陽光などには敏感に反応します。暑さは得意(≒鈍麻さかも?)、寒さは異常に苦手。

 

(4)視覚の過敏さーーー多くの対象物を一瞬で見ただけで覚えてしまう事があります(ただし対象物のアウトラインしか見ていない)。

 

全身で五感のうち嗅覚以外は何らかの過敏さ(当時はまだ理解していませんでしたが鈍麻さも)がある事がわかってきました。

 

ただ、理解は出来たものの、具体的にどうすれば改善していくかといった方法についてはなかなか探し当てる事が出来ませんでした。

 

 

 

そしてこの過敏さや鈍麻さが、私たち親子の生活をどんどん蝕み始めました。

 

次回、そのあたりの経緯をお話しさせて下さいませ。

*1:今では逆転した様にも思いますが、当時はまだあまり”発達障がい”や”自閉症スペクトラム”という文言の方が少なかった様に思います。

子どもの発達障害に気付くまで 29(生後2歳~2歳1か月)

~新学期の始まり~

息子が2歳頃の近所にあったインターナショナルスクールへ通っていた話の続きです。

 

母子で一緒に参加するクラスから、子どもだけでの3歳児クラスへ入る事になった息子。

普段はあまり母親には執着しないタイプでしたが、『さすがに母親がいない状態ではどうなるだろう?』と様子見していました。

 

やはり最初のうちは、朝の私との別れで大泣きでした。

 

『愛着が無い訳ではなかったのね・・・』と内心ほっとした気持ちもありましたが、泣き方があまりにも酷いので担当の先生には本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

それでも自分の知っている歌やフレーズを教えていただいているうちに徐々に慣れていった様です。

というよりもこの担当の先生方が本当に辛抱強く息子を支えて下さっていたから息子も少しづつクラスに馴染んでいけたのでした。

 

いくら息子が激しく泣いても

「どうしたの?辛かったんだね、痛かったんだね。」といつも息子に寄り添って下さった先生方がいらっしゃいました。

どんなに忙しくても息子の状況を的確に把握していらした先生方のあり方に、育児のプロを超えたまるで子ども達の守護者の様な存在に感じていました。

 

 

~『視覚+聴覚』~

先生方のご指導のもと息子は当初想定していた通り、

『絵や写真』+『文字』(視覚的要素)

    &

『発声』(聴覚的要素)

による説明で多くの語彙や概念を獲得していきました。

 

この時獲得した多くの概念が息子の急激な成長を下支えしてくれました。当時の息子にとっては英語であろうと日本語であろうと、自分をとりまく世界を理解するきっかけとなる言語はどちらでも構わなかったのだろうと思います。

 

 

~英語での教育を望んだきっかけ~

英語教育の動機は前回にも少しお話しした理由と、

『英語教育を受けると英語でしか意思疎通出来なくなるのでは?』という不安の反面、当時の私は息子と会話が出来るならそれでも構わないと思っていたからでした。

 

特に英語に自信はなかったのですが、中学校で教えてもらった程度の内容で息子との日常生活の多くの会話は英語で過ごしていました。

 

驚いた事に英語で生活する方が息子には理解がしやすい様なのでした。

 

それはインターに通わせるきっかけになった事ですが、

「お外 行くよ」とか

「靴 履くよ」

といった簡単な言葉かけでもそれまでは全然動いてくれなかったのに

 

「Put on your shoes.」と言えば何故か靴を履いてくれたのでした。

 

 

そして日常で一番困っていたのが、

『うん』と『ううん』、つまりYes/Noの意思表示をしてくれない事でしたが、それも英語で改善を試みました。

 

後々わかってきた事ですが、息子は日本語の一字一句がとても聞き取りにくいらしく、

しかも加えてまだ当時は一字の違いで大きく意味が違うという事に気付いていなかったのですね。ですから『まんま/ママ』なんかもわかり辛かった様子でした。*1

 

『うん』と『ううん』、、、

えぇ、今から振り返ると良くわかります。たった一字違いで肯定/否定を表す言葉になる事を当時の息子は理解していなかったのです。

(『はい』という語は1歳後半で使い始めましたが、意思を示す意味ではなく、お返事の意味で『はい』と使っていた様に思います。)

 

そこで息子のこうした特性に気付き始めたこの頃に

『うん』/『ううん』→Yes/No

に変えてみたところスムーズに自分の意思を示し始めました。

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このイラストの様に、日ごろの身の回りの事や何気ない事などを2択程度で選び取る様に促していきました。

 

こうしたフレーズはスクールで教えていただいたもので、この『Yes/No』の獲得が、その後の言葉の伸びに大きく繋がったと思います。

以前に書きました子どもの発達障害に気付くまで 11(生後1歳4か月~1歳6か月) ~指差しの訓練~ でもそうでしたが、

自分の興味関心への共感を求める指差しは比較的あったのですが、要求を示す指差しは普段からあまりしませんでしたので、このYes/Noが今後指差しの代わりとなっていきました。

 

 

 

さて、長々とすみません。

次回は当時発達障がいについて独学で学んだ様子などを記録させて下さい。

*1:例えば『雨/飴』などの同音異義語も苦手でしたが、もちろん今ではどちらの違いも理解できています。後々3~5歳頃の言葉遊びを繰り返す中でこうした概念を習得していきました。

子どもの発達障害に気付くまで 28(生後2歳~)

~保健センターからの電話~

以前書きました過去記事の1歳半検診の際に
let-me-pick-you-up.hatenablog.com

 「様子を見ましょう、またしばらく経過の後に電話連絡します。」

経過観察を伝えられたとお話ししましたが、そのお電話を地域の保健センターの方から頂いたのがこの当時でした。


冬で外遊びが減った分私の体力がかなり楽だった為『大丈夫と思います』と告げてしまいました。
(「また何かあればいつでも電話して下さい」、と相手の方がおっしゃって下さったのでそれが後々非常に助かった事に繋がりました。)

 

 

~プレへの通学~

さて、当の息子ですが2歳の誕生日が過ぎ、程なく新しい学期になりました。

以前から通っていたインターナショナルスクールへは継続して通わせていただける事になり、四月からは学年が上がって母子分離タイプの学習スタイルになりました。

 

まだ2歳なりたてなのにまだ早いかな・・・とも思いましたが、継続を決めたのは下記の様な点からでした。

(1)英語の方が理解が早かった事。
(2)食事などでも立ち歩きが多く多動面が目立っていた為。スケジュールがきっちりと決まってやる事が常に明確なカリキュラムの場合、息子はどの様な反応をするのか知っておきたかった事。*1
(3)私への愛着があまりみられなかったので、離れる事になった場合はどの様な反応をするのか知りたかった点です。

 

 

さて、結果はどうだったのでしょうか?

次で母子分離となったプレでの様子とそれに対する私の理解をお話しさせて下さい。

(この『子どもの発達障がいに気付くまで』シリーズは2歳5ヶ月まで続きます。長く続きますが、あと少しお付き合い下さいませ。)

 

 

*1:ちょうどプレに通い始める前に少し自閉症について独学で勉強し始めた頃、自閉症や発達障がいをお持ちの方には明確なスケジュールがある方が本人が安心できる場合があるという事をあるサイトで拝見した事がありました。息子ももしかすると同じタイプかも?と思いましたので、日本の幼稚園ではあまり明確なスケジュールで過ごすスタイルの園はなく、インターナショナルスクールを選びました。現在息子は小学生ですが、やはり時間割がしっかりと決まっている小学校生活は活動内容が明確で過ごしやすい様です。