子どもの発達障害に気付くまで 8(生後1歳1か月~1歳3か月)
~クレーンの始まり 1歳1ヶ月~
1歳1ヶ月の頃といえば引っ越しも落ち着き、新しい地域で公園を探したり出歩いたりと、子どもと出歩いては遊び場なんかを探す毎日でした。
息子は当時から車や電車が大好きで、特に国道沿いは働く車が沢山往来していたからか、本当に大好きでした。
しかし普通の発達段階なら、自分が気になる物を指差したりする時期にさしかかっていたにもかかわらず、国道沿いに車を見せに連れて行っても自分の好きな車を見かけても指差しや言葉で自分の興味を示す事はありませんでした。
でも指差しをしないからといって、要求がない訳ではなかったのです。
指差しでうまく伝えられないからか、1歳2か月頃は来る日も来る日も国道沿いに連れて行く様に泣いたり無言で抱っこを要求して、私を国道沿いへ促そうとしていたのだと思います。
何度かそうした事を繰り返していくうちに”車を見に行きたい”という事がわかりまして、国道沿いに車を見に行く事が日課になりました。
しかし当時はベビーカーを嫌がった事やまだ春なのにその年は本当に酷く暑い春だった事もあり、一日に5~6時間も車を見せに行く事が私の体力を酷く削っていきました。
朝8時から家事もほとんど出来ず、外・外・外・・・。
気付けば脱水症状や熱中症、そして頭痛。
子どもに帽子やお茶の準備をするだけで精一杯で、自分の体を守る事が出来なかった私はとうとうダウンして動けなくなりました。
外へと大泣きしてせがむ息子よりも大声で泣き、本当に疲れ切っている表情を息子にしてみせ今日は外に行けない事を説明しても、息子は私の表情を何一つ見ていない様でした。それどころかヘラヘラと笑って私の腕をつかみ、外へと向かおうとするばかりでした。
こちらの辛そうな表情を見ても一向に理解してくれない子どもの冷たいと思える仕打ちに、
『私はなんて悪魔を産んでしまったのか・・・。』と思いました。
この一件から、しばらく育児放棄と思える行動をとってしまう事になりました。
私自身は度重なる疲労が続いた為しばらく体を休める必要もあり、子どもが外に行きたいと腕をひっぱっても無視してテレビに子守をさせる事となりました。*2
きっと要求が適わなかったからでしょうね。
息子は以前にも増して日中泣き続ける様になりました。
それを受け止めるこちらも心身共にヘトヘトになる。
しかし夜泣きなども更に悪化・・・
という抜け出せないスパイラルにどんどん飲み込まれ、私だけでなく夫婦で参ってしまいました。
「誰か助けて・・・」
思いつく人が他にいなくて、地域の保健師さんに連絡し一度話を聞いていただく事になりました。
(今振り返ると1歳3ヶ月~3歳までが本当に一番辛い時期でした。)
次では保健師の面談まで~面談結果などをお話しさせて下さい。