ぎゅっぎゅっして!ゆっくりがんばる成長日記

子どもの発達や成長について気付いたこと、感じたことを。 忘れないための備忘録的なブログです。

幼稚園見学巡り(2歳6ヶ月~)

~療育による変化~

2歳半頃といえば療育機関と家庭での対応により、少しづつですが息子が成長していく様子が見え始めた頃でした。

特に図鑑・カード・本等を利用しての”知識”や”概念”の獲得といった分野が大きく伸びていく様子が見られ、記憶(特に短期記憶)が得意な事がはっきりしてきました。

獲得した知識や概念をまた遊びに取り入れて探し物ゲームをしたり記憶力を試す遊びを取り入れるなど、徐々に遊びの幅を広げていく様な事をしていきました。

 

 

~インターへの進学を断念する~

そうした中、当時通っていたインターナショナルスクールの次年度以降の面接試験があり、一旦はこうした息子の事情も含めて引き受けて下さる事になりました。

またこのまま頑張れる、とその時は本当に安堵しました。

 

しかし、息子の新しい事に挑戦する事が苦手な特性や、卒業後の進路を考えると日本語教育の重要性を優先し、インターナショナルスクールへの進学を断念する事になりました。

 

当時は生活の多くを英語で過ごしていた事もあり、息子の知識欲や手先の動きを意識したカリキュラム、明確なスケジュールの提示等、息子に最適と思っていた園を諦める事はそう容易い事ではありませんでした

 

どうすればいいかわからない・・・。

 

そんな思いからその後2ヶ月程は、トイレトレーニングに挑戦したり遊びを追求したりと、

『とにかく今は”今できる事”に集中しよう』

とただひたすら息子と向き合う毎日でした。

 

 

~見学へ~

そうはいっても秋にはどの園も出願が始まってしまう為、息子を連れて通園範囲内の幼稚園を出来るだけ見学しに行きました。

まだ多動も激しく、指示が通らなかった頃の息子と一緒に行動するだけで精一杯で、お話しを聞く事も出来ず資料だけいただいて帰る事もしばしばでした。

 

幼稚園の全般的な感想としましては、自由保育はもちろん設定保育と言われる園でさえも当時通っていたプレとは違ってのんびり・ほのぼのした印象を受けました。

 

しかしのんびり・・・とはしているものの、突然絵本の読み聞かせが始まったり音楽が流れてお歌やお遊戯が始まる事もあり

『これは急な予定変更が苦手だったり耳で聞いて理解する事が苦手な息子にとっては超難関な課題が持ち上がってしまった』*1

と内心思っていました。

 

 

 

~環境を合わせる→環境合わせる~

どの園も、多少の違いはあれど、プレ園に比べると急に場面展開が生じる様な印象。

なかなかうまくは説明出来ないのですが、無理矢理例えるなら鳥獣戯画等の絵巻物にある異時同図ミュージカルで突然歌いだすといった感覚です。*2

 

それまでは、プレでも家庭でも違う事を始める場合は一度はっきり区切りをつけて、視覚優位の子でも場面が変わる事をわかりやすく提示する様な流れ作りをしてきました。

例えば
・遊び→食事等であれば、遊びをする場所と食事をする場所は明確に分ける。
・少し興奮する様な遊び→静かに座って遊ぶ場合は、お茶休憩等を挟んで沈静化して気持ちと場面を切り替える
といった具合です。

 

これまではこの様に環境を息子に合わせてきた訳ですが、今後は息子を少しづつ環境に合わせていく必要性を感じ始めました。

 

もしかしたら杞憂に終わるかもしれません。

通い始めたら慣れる事かもしれません。

例えばスピーカーから急に大きな音楽が流れ始めても最初はパニックになるかもしれませんが、そのうち『音楽=お遊戯の時間』という様に理解してくれるかもしれません。(きっと多くのお子さんがそうして慣れていくのでしょう。)

 

しかし・・・もし慣れなければ・・・園生活が苦痛で仕方なくなるのでは?と思えてきました。

 

それにしても・・・臨機応変に対応出来る能力というのはいったいどうすれば身につけられるのか・・・皆目検討がつきませんでした。

 

成長を見せ始めた息子ではありましたが、このままでは春の入園に間に合わないかもしれない・・・という予感が何度もよぎりました。
(結局その後の半年でそこまで対応出来るようには漕ぎ着けられなくて、入園~半年程は多動やパニックが多々みらる結果に(^_^;)やはりもう少し早目に手を打っておけば良かったかもしれません。)

 

 

 

~第一候補のプレスクールにも通わせてみる事に~

まずは慣れさせる意味もあり、いくつか見学にうかがった中で発達障害に精通していて設定保育であり、息子へご理解いただける園のプレスクールに週1で通う事にしました。

 

幼稚園といっても様々な特色を各園でお持ちです。

のびのび自由遊びの中から子どもと膝を突き合わせて成長を見守って下さるタイプの園もあれば、算数や漢字といったお勉強を中心にした園まで。

 

当時通っているプレなら、得意な知識面を伸ばしつつ苦手な手先の運動を工作で伸ばすという点が好きで選んだ訳ですが、同じ内容を日本語で教育していただける園はありませんでした。

 

そこで第一候補の幼稚園での反応を見ながら、幼稚園に何をお願いし、何を家庭で見ていくのが良いのかを冷静に判断していこうと思ったのでした。
(しかしこれが・・・息子がこの数ヶ月の間に大きく成長していくという嬉しい誤算もあって、どんな事を幼稚園にお願いしたいのかを決める事がなかなか難しい作業になっていきました。実は息子は早生まれでして、あと数週間で次の学年に生まれていたらどんなに良かったかとこうした事がある度にいつも思います。)

 

結局、悩みに悩んで約半年後の入園ギリギリまで決められなかったのです。
でもこうして悩んだ事は無駄にはなりませんでした。
息子の事をそれまで以上に客観的に観察する様になったからです。


幼稚園を決めた時の事はまた3歳頃の事として別に書かせていただけたらと思います。
次回はトイレトレーニングの事を書かせていただければと思います。

 

 

[追記]

因みに余談ですが、臨機応変って英語では確か"play it by ear"・・・ つまり「耳で聴いた通りに(演奏)する」って高校で習った(遠い)記憶があります(笑)

聴く力に弱さがある息子には”その場で耳で聞きながら行動を決めていく”なんて難題かもしれません。。。

臨機応変を目指すより、徹底した予習や予測の力を高める方が本人にとっては気持ちが楽そうです。

何が起こるかわからない不安に耐えるより、多くの事象を記憶・経験させて、

「これらのうちどれかが起こるかもしれない」

と心構えさせる方が本人の特性上向いていると傍で見ていて感じます。

 

ところで"play it by ear"ですが、ちょうど小学校1年生になった今、私と楽器の合奏をする中で、間違っても相手の音を聞きながら戻れるタイミングで戻るという練習を通じて少しづつ養っている所です。

 

 

 

________________________

*1:実はこれ、小学校に行っても同じ問題でつまづいてしまった点なんです。三つ子の魂百まで・・・じゃないですが、苦手な部分を乗り越えていく事の難しさを今改めて痛感しています。

*2:

書き方が下手だすみません、日本の幼稚園への批判といった事ではございませんので悪しからずご了承下さい。私自身も普通の幼稚園出身で、色々な行事やイベントに向けて練習したり、自分の体験した事がない事に挑戦する楽しさや初めての事に出会うワクワク感がとても楽しかったものです。

実際私は全てのスケジュールがわかってしまうと少しワクワクする気持ちが薄れてしまうので息子とは間逆の感覚かもしれません。

ところが息子の目線で生活していくと、知らない何かが突然起こる事が恐怖に感じる息子の気持ちが何となく理解出来る様になってきました。そういった特性を踏まえて、さてこれから日本の多くの幼稚園の特色にどの様に対応していけば良いのか思案あぐねておりました。

”ダメ”と”おしまい”(2歳~)

家庭療育のお話しなどをしていますが、今回は”ダメ”と”おしまい”という私にとってはキーワードになった言葉についてお話しさせて下さい。
2歳以降の事ですが、時期は前後するかもしれません。

 

~”ダメ” 自己肯定感を下げる言葉~

過去記事子どもの発達障害に気付くまで 26(生後1歳9か月~2歳) でも書きましたが、指示が通りにくい事が多かった2歳前後の頃、私は良く”ダメ”という語を使っていました。

 

そんなある日です、
「そんな事しちゃダメでしょ。」

と、いつも通りに”ダメ”という言葉を使いました。(これは育児でよくみられるごく普通の一般的な声掛けの言葉・・・とこの時までは信じていました。)

 

その直後でした。

ダメ!ダメ、ダメ、ダメ、ダメーーーーーー!

と激しく頭を振りながら息子が泣き叫びました。

 

尋常ではない息子の様子、これは非常事態なのだと思いました。

 

泣き止むまで抱きかかえて時間をかけながら落ち着かせましたが、一体何が起こったのか私には理解出来ませんでした。


特に声を荒げて”ダメ”と伝えた訳でもなく、(何が”ダメ”だったのか今となっては覚えていない程)他愛も無い事を指摘しただけだったのだと思います。

(怒って”ダメ”と言った訳ではないのです、そう、本当に何気なく言ったのです。)

 

 

~ダメを使わない方法を知る~

その日子どもを寝かせた後、必死にネットを検索しました。

そもそも

発達障害を持つ人には”ダメ”と言うのではなく、ではどうすれば良いのかを伝える方が良い」

とか
「反語は使わず、望ましい行動を短く指示する。」*1

という事を書かれているサイトが多くあり、そういった対応方法をこの時知りました。

 

・・・

様々な記事を何度も何度も読み、自分の不勉強さを本当に感じました。

 

『なるほど・・・駄目とは言わず、望ましい行動を提示する事ね。それから反語を反語として理解しない等色々な特性があるという事ね。
・・・そこは改善していかなくちゃいけないな』

と、率直に思いました。

 

 

~しかし今回の真相は・・・~

しかしどうも今回は反語も使っていませんでしたし、パニックに対してしっくりくる回答とは少し違うかなぁと思っていました。
探し続ける中、とあるページに回答がありました。
(すみません、典拠をはっきりご提示したいのですが当時拝見したページを探せませんでした。見つけ次第すぐに記載したいと思います。)

『ダメ』=『ボク自身がダメ


『ダメ』=『息子が行った行為に対しての指摘』として使ったはずが、何故か息子そのものを否定する言葉として受け取るという事でした。

この解説に納得しました。正しくそういう反応をしていたのです。

 

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”ダメ”という語で自己肯定感が低下する構図をイラストにしてみました。

 

・・・この一件から”ダメ”という言葉は出来るだけ使わないですむ様にまず過去記事で書きました通り怒らないですむ育児環境を整えたり、どうしても使わなければいけない時は英語の”No”に使いかえていきました。

 

4歳の頃にはうっかり”ダメ”を使ってもパニックを起こす事はなくなりましたが、今は家庭では”ダメ”という事をする事が殆どなくなりました。

 

それに今は自己肯定感がちゃんと育っている様に思います。

 

都度有能感や自己肯定感を高められる様にスモールステップで、小さな目標とその都度の達成感を自分で感じられる様な生活を心がけてきました。

少しづつしか積み上げられませんが、どうもその”少しづつ”が大切な様です(*^^*)

 

今回の件は先に歩まれてきた発達障がいの方やそのお母さん達、そういった教育に携わってこられた方々の知識や経験に本当に助けられたなぁと感じた一件でした。*2

 

 

 

 

~”おしまい”は要求の言葉だった~

そしてもう一つずっとわかり辛かった息子の言葉の一つに

「おしまいっ!」

がありました。

 

 

日本語への弱さにがある息子ですが、いつ頃からでしょう・・・息子は”おしまい”と連呼する事が増えた時期がありました。

 

特に多かったのが、発語も増えてきたこの2歳当時~2歳4ヶ月頃だったと思います。

 

例えば本の読み終わりで”おしまい”と言う事ももちろんありましたが、どうもその場に沿わない使い方も多くて、発達センターの臨床心理士の方に”おしまい”とはどういう意味を持つ言葉なのかお聞きした事もあります。

 

”不安”や”見通しが立たない”場合に使うのではないでしょうか?という回答だったと思いますが、結果的にそうだったのだと思う事がありました。

 

ずーーーーっと”おしまい”の真意がわからないまま3歳を過ぎ、”おしまい”を使う回数もどんどん減ってそんな事を忘れていた頃です。


4歳も間もなくという頃に
「”おしまい”にして。

と、語尾を付け加えてくれた事がありました。

 

そうだったのね・・・”おしまい”は”おしまい”にしてという要求文だったのね・・・(もちろんそうでない事もあったと思います。)

 

だから見通しを立てやすい様にスケジュールやこの後の予測を提示する様にしていった事で”おしまい”が減っていったんだなぁ・・・と合点。

 

 

息子は他人の模倣が苦手で、特に言語面では他人の使い方を真似て習得する方法ではなく、語彙そのものの意味を理解し、自分なりにアレンジを加えたり工夫をして使う特徴があります。

 

そういった特性がこの頃から出ていて、”おしまい”も自分なりに要求語として工夫して使っていたのでしょうね。

 

でももし当時、それがもっと早くにわかっていれば。
相変わらずの私の共感性のなさを痛感した事例でした(笑)

 

 

 

 

<追記>

過去記事の追記に『当時こうした勉強を進める中で佐々木正美先生のブログや著書の中から考えを学ぶ事が多かった』と記載していました。

先生の本を読み進めるうちにTEACCHに出会えた事は本当に大きな事でしたし、先生の子ども達に向けられた優しい眼差しに何度も救われる思いをした事を思い出します。

 

*1:当時はNPO法人 岡山県自閉症児を育てる会さんの自 閉 症 の し お りの『第2章 自閉症児の育て方』で書かれている事などを参考にさせていただきました。今でもよく拝読させていただいております。

*2:この頃に読んだ知恵袋サイトの

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

という質問に対するベストアンサーの方の考え方等が非常に参考になりました。『小さいから分からないだろう、はナンセンス。必ず、本人に許可を求める』こういった姿勢を自分も取り入れていこうと先輩お母さん達の言葉から学びました。

療育を決めた時―感覚統合(2歳5ヶ月)

~療育への期待~

随分前の記事で

let-me-pick-you-up.hatenablog.com

発達相談をした結果、療育を受けられる事になった経緯を書きました。

しかし、実際には通い始めるまでに少し時間があった為、私なりに出来る事を模索しながらアプローチをし始めた・・・といった経緯を前回まででお伝えしてきました。*1

 

そうして模索していく中で、

当初は主訴として”言葉の遅れ”を訴えての療育希望であったのですが、息子にとって

”言葉とはどういった役割なのか?”を根本的に理解させていく事が本当に必要な事なんじゃないかなぁ・・・

という事に気付き始めました。

 

『遊び道具を取って欲しい』

『一緒に遊んで欲しい』

『お腹が減ったり疲れた気持ちを理解して欲しい』

 

そういった事を言葉でなくても表情や何かでまずは表出する事そのものに弱さを抱えている事を私なりに理解していったからです。

 

余談ですが、日本語(いえ言葉の概念や機能というのでしょうか?)ってすごいなぁと思う事があります。

ブログを引っ越す以前の記事で『内部要求の掴み取り』というお話しをさせていただいた事があります*2

 

『内部要求の掴み取り』とは自分の体内に起こった要求などを脳で適切にキャッチ出来る能力の事を私自身が勝手にこう名付けてしまった訳ですが(^^;実はこうした感覚は日本語ではある熟語で表現出来ちゃうんです。

 

そのイラストをこちらでも掲載させて下さいネ。

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よくよく考えればこれはつまり『感知』を図式化したイラストなんですよね。

感知とは感じている事を知る事で、感じているだけではこのイラストにはなりません。

自分がお腹が減ったと感じている事に気付く事が出来て始めて

「おなかがへった」

と表出出来るのかな?と思うのですが、息子の場合この『感知』の多分”知”(イラストの②にあたる部分)が最も苦手なのだろうとこの頃アプローチを通じて薄々気付き始めたのです。

 

ですので、言葉はツール・・・。

息子にとって療育をお願いしたい部分は、そういった言葉も含めた様々なツールを使いこなす能力を促す事・・・ものすごく感覚的な難しい分野になると思うのですが『感覚統合』という分野でのプロのアプローチをお願い出来たら・・・と考える様になりました。

 

 

~療育希望を伝えてみる~

そんな事を考えていたある日、発達センターの担当の方から療育内容についてのご連絡がありました。

「言葉の遅れを気にされているとの事でしたが、言葉の教室は人数が多くて暫くお待ち頂く事になるかも知れません。」

と言われましたので、渡りに船とはこの事。すぐに

「あの、感覚統合の教室はございますか?もしそれに相当するものがあればそちらを受けさせてみたいと思うのですがいかがでしょうか?」

と伝えました。

(私が素人目に息子には感覚統合が向いているのではないか?と考えていますがそれは間違っていませんでしょうか?という意味も含めての伝え方をしました。)

 

すると

「え、感覚統合ですか?あります。そちらなら多分すぐご案内出来ると思います。」

とお返事があり、トントン拍子で療育へのお話が決まりました。

 

ずっと息子と二人で模索しながらやってきた不安感から解放された気分でした。もう二人で頑張らなくても良いんだ・・・、と。

 

 

~プレに報告する~

そして当時通っていたプレスクールに、以前実施した発達検査の結果と療育を受ける予定などを正直に報告しました。

どうなるかなと少し不安ながらの報告でしたが、そんな事は心配無用でした。

それまでも一生懸命息子に手厚い対応をして下さっていたプレの先生方でしたが、尚一層息子の特性に合わせてご対応下さる様になりました。

 

「お子さんに、まず5分着席出来る様に促したら頑張って座れました!」

とか、

「スプーンの持ち方を少し変える様に伝えたら、頑張ってくれました!」

と、今の息子にとって難しい点とそれに対する息子の努力、それらを評価した事等を毎回教えて下さるのです。

 

こうしてプレでも精一杯のご支援を受けながら伸びを見せていく息子。

 

しかし先生方に全て任せておけば良い、とは私は思えませんでした。

 

それはいつか卒業したらまた息子と二人で頑張らなければいけない日がくるでしょう。その時に『どう解決していけば良いのかわからないわ・・・。』と思う事が予想されたのです。

 

そうならない為にも独学で勉強しそれを実践してきたのですが、全て自分の推察や想像で進めてきた事。

『正しい対応を私は出来ているのかどうか?』

という不安感が常にありました。

 

そういった意味でも始まった療育は息子だけでなく私の心理面を大きくフォローし、支えて下さる存在となりました。もし対応方法が不安な場合は療育機関に相談出来るという安心感が出来たからです。*3

 

 

 

~療育を受けてみる~

どんな療育を受けたかまでの詳細な内容は控えようかなと思いますが、つくづく思うのは

「何と先生運に恵まれた子なんだろう!」

という事です。

 

私が考えていた事、

これまでに気付いた事、

気付かなかった事、

全てを把握されているかの様なフォローをして下さる先生にこの療育で出会えたのでした。

 

で、当時はまだまだ指示に従えない事や言葉の拙さもあったのですが上手に遊びに誘って下さったり切り上げるタイミングを見せて下さったり。

 

すこし成長するにつれ、これが本来の息子なのかな?と思える様な性格の地の部分が出る様になってきたのですが、当初に比べてだいぶ元気で(やんちゃ?と言った方が正しいかもしれません(笑))多弁で(口の多動が随分目立つ様になりました(笑))多動になった部分にも上手く合わせ、それに対する問題点を私に見せて下さいます。

 

そんな先生に対し、私の方も日々の問題点を先生との遊びの中で出していきます。

 

息子とのやり取りを先生に見ていただく事で課題を一緒に考えていただいている、と当時は感じておりましたし、そうしたやり方を最後まで続けられることが出来ました。

 

 

 

感覚統合は遊びを通じて子どもの苦手な部分にアプローチしていく方法なのかな?と思います。

 

例えば指示に従う事が難しいタイプの子どもへは、視覚優位の子ならイラスト等を用いて今から遊ぶ内容の説明をして、一緒に遊ぶ内容を理解させる事からはじめ、その後徐々に耳からの説明だけでその場に適した行動を自分で選択出来る様に促していく、といった手法をとるなど、その子その子の課題を感覚面を含めながら一つづつ対応していく、といった感じでしょうか。

 

その他にも感覚へのアプローチとして足の裏や背中など見えにくい部分の感覚への理解を促して自分の体のパーツの動きを確認したり、そういったパーツを動かす訓練をしたりという内容になるかと思います。(もっと沢山の内容がありますが、詳細は割愛させて下さいませ。)

 

毎回同じ様に見えても、子どもの一ヶ月はとても大きな期間です。先月出来なかった事が次の月には出来る様になっていたりします。それがほんの些細な変化でも、その小さな一歩の為に子どもの心の中では大きな葛藤があり、それを乗り越えて不安だった動きへの一歩を踏み出していく過程がはっきりと感じられます。

そういった小さな変化を私と同じ様に感じて下さる先生の存在に本当に感謝の毎日でした。

こうして療育を始めた結果、息子は急激な成長みせはじめていくのでした。

 

 

それでは次回は、「おしまい」の繰り返しや「ダメ」という語への恐怖感をお話し出来ればと思います。

 

*1:『発達の凸凹への対応』シリーズ、『感覚過敏・鈍麻への試み』シリーズ、『遊びをせんとや…』シリーズです。

*2:そちらについては後日サブブログにUPさせて下さい。

*3:今となれば、何が正しいかなんてあまり気にしなくて良いのだと思っています。ただごく当たり前で、一番丁寧な接し方や育児を心がける事・・・つまり発達障害の子にとって望ましい育児は定型発達の子やどんな子にとっても最良で最適の育児である事を心がけるだけで良いのだと思います。どんな子にとっても寄り添い同じ目線に立つ事は決して悪い事ではないと今は信じています。

ただ、当時は発達障害の子どもに対してしてはいけない事はどんな事なのか、定型発達の子とどう異なる教育をしていけば良いのかばかりを気にしていました。知らなければいけないのは、その子が何が苦手なのか、何が好きなのか、それって別に特別な事ではなくごく当然の事よね・・・と息子に教えてもらい今に至ります。

水への興味―トイレの水や排水溝のこと 後編(2歳4ヶ月)

ゴタゴタとしておりまして少しお時間が空いてしまいましたm(_ _)m

サブブログの方ではお伝えしておりましたが我が家の現在進行形の事情としまして・・・、実は子どもが登校を辛がる様になってしまい、改善に向けて働きかけをしていく中でウチの子にとっては厳しかった学校生活の様子が徐々にわかってきた・・・という段階にあります。

 

いつかその内容はどこかで共有し、もっと自閉症や発達障がいについての理解が進むお役に立てればと思うのですが、今はまだもう少し事態を見守る状況にありますのでご理解を賜れれば幸いです。

 

又、こうした事があったという事で、私が過去息子に行ってきた家庭療育や育児では子どもを不登校にさせてしまう可能性がある事は否めなくなりました。

 

色々考えた末、このブログも皆様にお見せするべきではないんじゃないか?とも考えましたが、私の愚行から何かを得ていただけるならそれも本望です。

(当面は『ふーん、そんな事もあるんだな。』といった程度で眺めていただけると一番良いのかなと思っています。)

 

 

という訳で前置きが長くなりましたが、前回からの続きです。

 

 

 

~トイレも側溝も同じ理由?~

 

前回からの続きで、試しに貼り紙をした途端に困っていたトイレでの水遊びは治まったというお話しをさせていただきました。

しかし一方で側溝への石落としは中々治まりませんでした。

側溝だけでなく、お風呂の排水溝等にも興味を示して手を突っ込む事もありました。

 

『うーーーん・・・理由は同じじゃないのかなぁ・・・。』

と改めて考えてみる事にしました。

 

そこでまぁ、行き着いた推論なのですが、うちの子にとっては石落としには”2つの意味”があるんじゃないかなぁという事でした。

 

もう少し時間が経った2歳8ヶ月の頃、『落としたい要求』を満たしてくれるおもちゃに出会い、石落としの回数はぐんと減りました。(指先遊びを紹介した以前の記事で「キャップ落とし」としてご紹介した物です。)

 

『落としたい要求』があったのはこのおもちゃに出会ってから知りました。純粋に”穴があったら落としたい”という要求です。

 

ただ、側溝への石落としはこの要求だけではなかったのです。

 

それは3歳目前の頃、お風呂をあがる際に排水していた時です。

「お水はどこへいっちゃうの?もうなくなっちゃうの?」と聞いてきました。

「水は、下水管へ流れていって、下水処理場で綺麗にしてもらったら川や海に行くよ。そしてまた雲になって雨になってまた帰ってくるよ。」と答えたのです。

 

何度か説明をせがむので、お風呂場だった事もあり丁寧めに口頭だけで説明したのですが「また帰ってくる」の言葉に安心した様で、その場は納得しました。(水が消えて無くなってしまう事への不安な気持ちが裏にあるのでは・・・?とこの時感じ取りました。)

 

その後も日を置いて何度もそういった説明を要求してきましたので、その都度説明し、息子は水への循環システムを理解した様でした・・・が・・・

 

そこである日ピンときました。

きっと、

『排水溝もトイレの水も、道路の側溝への石落としも全て”流れた水のゆくえ”を知りたい気持ちからずっと確認していた行動だったのでは?』

と。

 

その勘は的中していたのか、こうした水の循環システムを理解してからは水に関する全ての問題行動が一切なくなりました。

 

まさか・・・こんなに幼い子どもが水の行末に興味を持っているなんて思いもしなかったので、気付いた時には本当に驚きました。

 

 

 

 

~”幼いからまだわからないだろう”なんて軽んじない事~

そして、こういった事から『これはまだ息子には難しいだろう』とか『理解するにはまだ難しいかな?』等と私が勝手に限界を決めない事にしまいした

 

まぁ・・・かと言って幼い子に理解出来る内容には限界があります(笑)

ですので心を尽くし出来るだけ噛み砕いて説明し、それでも理解出来ない場合はまだ説明しなくても良い事なのかな?という程度の線引きです。難しくても興味ある事なら何度でも聞いてきますし、そうした事はこちらが試行錯誤しながら工夫して教えてやれば本人なりに理解出来る場合も多い様に思います。*1

 

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これは当時描いたものではなくて恐縮ですが、4歳になった頃に「どうして雨が降るの?」と聞かれたので、水の循環システムをイラスト化してすごろく仕立てにしてみました。絵を描きながら、何度も何度も説明をせがまれて大変だった当時が懐かしく思えました。

 

あの頃はまだ言葉がたどたどしかったのに、こういった絵を頭の中で何となく想像出来たのかと思うと、今でも信じられない気持ちもあります(^^;)

 

 

 

 

~予想や予定の提示 もう少し成長してからの事~

まだ息子が幼くてこちらの意図がほとんど通じなかった当時、

困った行動はそれより楽しい提案をする事で”すりかえ”をしていった訳ですが、その提案は次第に少し先の予想や予定を提案していく事でも代用出来る事に気付きました。

 

例えば、息子が飲みたいと言ったジュースを買いに出かけたのにも関わらず、すぐ近くのスーパーでさえ寄り道で全然辿り着きそうにない場合、

「そういえばジュースは?次、左にまがる。スーパーが見える。」

と短文(ほぼ単語の羅列)*2でキーワードが耳に届く様に(予想を促す様に)すると目的を思い出すのかスーパーへ無事到着出来るという次第です。

 

 

~3予を意識する様になる~

こうした試行錯誤や成長に伴う変化を経て、我が家では大切にしている3つの予があります。

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これは息子へ説明する際に今後もずっと大事にしていくであろう事なのですが、こちらがやりたい何かがある場合、

(1)まずは予定をしっかりと立て、

(2)それを本人に事前に予告(告知)し、

(3)本人がその未来を予想(予測)出来る様に促す

 

という事は常に意識しています。

こうした考えがスケジュールの提示時刻の提示に繋がっていきました。今からどんな予定があるのか?を伝える様にしたのです。

 

そうですね、具体的には・・・

例えば朝の準備が早く出来れば余った時間は好きに遊んで良い事にしていますが、着替えているの途中で気がそれたり違う事を始めた場合、暫く様子をみて「お着替え終わったら次は・・・何かしら?」とか「お着替えの次はお薬。全部終わったら遊べるよ。」等です。

 

記憶力は良いのに、すぐに視覚的な刺激で今やっている事でさえも忘れてしまうのですが(・・・って、大人だって嫌な事をする時は気を紛らわせたくなりますよね(^^;)

 

視覚的な刺激も、気になる事だから手を止めてしまう訳で、そこは本人のやりたい事でもある部分です。

「全てしてはいけません!」ではなくて、余裕のある時は本人の好きな様にさせつつ、幼稚園のバスに遅れて辛い結果も嫌でしょうから加減しながら予定を思い出させるキーワードを伝える様にしていきました。

 

今は時計も読めますので、最終的にはどう時間を使うかを自分で考えさせる様にしていきつつあります。それは息子本人が納得する為です。

 

私に押し付けられたスケジュール等ではなく、時間をどう割り振るかは自分の腕次第だという事だからです。

 

 

 

~言葉がうまく表出出来ない故に~

こうした当時のエピソードの特徴なのですが、その時すぐに答えが見つからなかったり少し時間が経過してからわかる事が多かったです。

 

それは息子の言葉の発達(主に表出面)がぼんやりしている子ですし、その一方で話す言葉の何倍も複雑な事を考え、疑問に思ったり想像していた事に私が気付かなかった事が挙げられると思います。

 

ですので、今でも『少しでも疑問に思う事はメモなどで残しておこう』という癖がついています。

後から他の要素も加えて検討するとわかる事もある、という事をこういった経験を通して理解していったからです。

 

そして、後になってでも理解した事は息子に何とか伝える努力をする大切さもこういった経験から学びました。

 

 

 

 

 

 

さて、次回は療育を決めた時の事を中心にお話しさせていただければと思います。

 

 

 

 

 

*1:※側溝や排水溝への石落としでお悩みの方は多いと思うんです。解決法を探してこの記事にお越し下さった方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。

ですのでピンポイントでの解決法を探しに来られたのに息子の理由がお子さまのこだわる理由と異なる場合は申し訳ございません。

私自身は『子どもは子どもなりの理由があるのだなぁ』とこの一件で思いましたので、このエピソードがお子さまの行動の理由へのそうした気付きにつながれば幸いです。

*2:当時はまだ日常会話で英語を多用していたので、日本語で説明する場合は出来るだけ短文で要点だけを伝えていました。かなり不自然な日本語ですね。成長してからは中文程度での会話を心がけていますが、今でもゴタゴタした環境にある場合は短文で的確に伝える様にしています。

水への興味―トイレの水や排水溝のこと 前編(2歳4ヶ月)

 ~常動行動などの困った事~

当時取り組んだ遊びを通じた伸ばし方については前回の記事までで一通りご説明させてところでした。

 

さて、そうした遊びを通じて感覚の過敏さや不器用さのある息子に対してアプローチをしていた頃の事です。

 

笑顔も増えてきて、一緒に行動していくのがどんどん楽しくなってきた一方で、次第に困った行動も一つ解決したと思えばまた別の困りが現れたり、または少しづつ変化がみられたりという頃でした。

 

その年は暑い夏で日々外遊びや水遊びに明け暮れていました。

乳児の頃は嫌がっていたベビーカーにも乗れる様になったので、外歩きの時はベビーカーに乗せてしまう方が私的には楽だったのですが、いつまでも乗せておくより

”飛び出しや多動を改善する為にも一緒に歩く訓練をしなくては”

と思い始めたのです。

 

・・・と、積極的に歩く事を選んだ訳ですが、歩く毎に困難が待ち受けていました。

 

具体的には

・外にある自転車の車輪を回し続けたり、

・側溝に石を落とし続けたり、

・蛇口から流れ落ちる水に手を当て続けたり・・・

等という困った行動です。

 

調べるとこれらは常動行動としてはよくある事の様でしたが、この頃はどうすれば辞めさせられるのか?という事ばかり考えていました。

 

結局、あの手この手を使ってもなかなか辞めてくれず、無理矢理抱きかかえて違う所へ行こうとすると反り返ってパニックになったり強く抵抗するばかりであまり良い結果になる事もなかったので、水道で水を触る事だけは自宅で満足するまでさせる事にしました。

 

側溝への石落としや他人の自転車を触る事は多くの人への迷惑になる事でもありますので、何とか辞めさせる為に別の遊びの提案をすかさず行い、すりかえをする様になっていきました。

 

例えば歩いている途中で止まっている自転車をみかけ、触りに行こうとした時はすぐ傍にある縁石等を指差して

「上手にこの上を歩けるかな?やってみようよ?」

等と、車輪回しと同等かそれ以上に楽しそうな事を提案すると諦めてくれる確立が高い事に気が付きました。

 

当時、ちょうど発達検査を受ける直前だったので、こういった困った行動はどうすれば良いのか検査を受けた後で担当の臨床心理士さんに相談してみると同じ様に”すりかえ”が有効である事を教えて下さいました。

こうした助言を受けて、外出する時は例えばミニカー等息子が興味をひくものを常に持ち歩き、周辺の物でうまくすりかえられない場合は手持ちのミニカー等で気をひいて少しづつやっても良い事(場所)とそうでない事(場所)を暗示させていく様にしました。

 

といっても常動行動にはやはり楽しみの側面もあるので全てを禁止するのではなく、水道遊びの様に家ではさせたい様にさせたり、似たような別の遊びを提案していく事にしていきました。

 

 

 

~トイレを流す回数~

そんなある日、水への興味がどんどん高まったのかトイレを何度も流すという困った行動が始まりました。

 

当時トイレトレーニングを始めたばかりで、2時間に1回トイレへ連れて行き始めた頃です。

トレーニングとしてはまずは慣れる事から初めようと、私も随分のんびり構えていましたのでトイレが出来ない事でイライラする事はなかったのですが、まさか水を流す回数で困るとは思いませんでした。

 

息子は水を流せるという事でトイレには喜んで行きました。そして何度止めてもレバーを回す事を辞めてくれない・・・。

 

う~ん・・・どうしたものか・・・

と、困った私は

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絵に描いてトイレの壁に貼りました。

『いつか・・・効果が出れば良いな~』程度にしか考えていませんでしたが、とりあえず怒って口で言っても効果はなさそうでしたので気軽な気持ちで描きました。

 

ところが・・・

即効果が出てしまったのです。

 

「レバーは1かいなの。」

と張り紙を見ながら1度だけレバーを操作し、何度も何度も張り紙を確認する息子がいました。

視覚優位を痛感した出来事でした。*1

 

 

(長くなりますので後編につづきます)

 

 

*1:今は絵でしつけをする事はほとんどありません。それは私自身の事に置き換えて考えてみたからです。私は紙面で冷静に指摘されると「その通りだ。改めよう。」程度に受け取る事が出来るのですが、同じ内容を口頭で強い語気で怒られたり指摘されるとひどく傷付くので、それと同じかなぁ?と思ったりするんです。

効果がありすぎて、視覚優位の息子にはこういった絵からの指示にそれなりに傷付く事もあるのでは?と思う事もあり、イラストで指示する事はほとんどなくなりました。やるなら指示の意味は持たせず、何の悪意も一切含まない案内書程度のものだけです。

当面はこのままの運用を続け、もう少し長じてイラストを見た時の気持ちを話してくれる様になればまた改めて考えてみたいなと思います。