ぼく、できたよ!(有能感と共感性の関係)後編(生後3歳10か月)
~共感を求める瞬間はすぐそこに~
実はこの有能感って、何も絵画や工作といった場面だけでなく、むしろ何気ない日常に沢山その瞬間がありますね。
私はその瞬間の子どもの目が大好きです!
「ママ、ぼくできたよ!このまえまでできなかったのにできたよ!」
目をキラキラさせて、いつもはそらす目を子どもの方から合わせてきます。
きっとこの出来た瞬間を私に共感して欲しいと感じているんだろうなぁと感じる度に、随分心が成長してきたなと思う様になりました。
息子はずっと目を怖がって見てくれない時期がありましたが、こうした事に気付いてからは目を出来るだけ合わせる様に意識しています。
特に息子の方から合わせてきた時は絶対にのがさない様にしています(笑)
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例えばですね、我が家でそうした有能感を高めてくれた一つに"靴"のエピソードがあります。
手足のぎこちなさが少しでもスムーズになればと、ウチでは日ごろ休みの日になればアスレチックのある公園へ良く行きます。
近場の公園で遊ぶことが多かった頃はお気に入りのキャラクターがデザインされた靴を履いていたのですが、足のサイズが上がった事やキャラものにそこまで執着しなくなってきた様子だった事から、思い切って機能性のある運動靴を買った事がありました。
ちょうど3歳後半の頃です。
さっそくその靴を履いて、公園へ行ってみました。
それまではこんな遊具は怖くて仕方がなかったのですが、この時は写真の通り随分高い所へ登りました。どうも靴底のグリップ力が今までの靴と全然違ったらしく、自分が考えた通りの動きが出来た様なんですね。
こうしてのぼれた事が本当に嬉しかったらしく、この時は何度も何度も・・・何度も登っていました。
こちらの公園はこれまでにも何度か来た事がありましたので、はじめのうちは以前に出来なかった記憶を思い出し、怖さや不安でなかなか足を踏み出そうとしませんでした。
それでも
「新しい靴だからきっと大丈夫、ちょっとやってみない?」
と促すと、
「僕できたよ!」
「できた!」
と、自分の手足の動きを確かめながらしっかり進んでいきました。
こうした成功体験の中でも、特に一番最初に出来た瞬間ほど息子の方から目を合わせてくる事が多い様に思います。
「ぼく、できたよ!」
有能感が高まる瞬間は共感力も一緒に育みやすいシーンの一つかもしれない、と感じますので、良かったらお子さんが一番最初に「出来た!」と感じているだろうなぁと思う瞬間、意識的にお子さんの目を見てみて下さい。きっとお母さんに向けてチラッと目を合わせようとしてくる瞬間があるかもしれませんので、その時は是非アイコンタクトで受け返してみてくださいネ♪
~ちょっとしたチャレンジがいいみたい~
有能感は、子どもが得意な事よりも、少しチャレンジ性のあるものの方が高まりやすいのかもしれません。
そうですね、例えばいつもはちょっと怖がって出来ない様な事や、いつもの公園だと出来ないと諦めている様な事です。
親の目には
”あとちょっとで出来そうなんだけどなぁ・・・”
と感じている類の事ってありませんか?
こうした事ってついつい無理強いしそうになるのですが、子ども側には何かのきっかけが無い限りなかなか踏み出せない心のブレーキが働いている、そんな何かがあればチャンスです。
そう、ピンチはチャンス。
でも無理強いしないで、環境を整えたりお子さんの準備を整えたり、まずはチャンスをつかむ準備を♪焦らなくても大丈夫です。
全てが整ったら、チャンスはまた必ず訪れます。
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余談なのですが、この遊具がうまく出来た後、なんだか子どもが少し逞しくなった様な何か誇らしげな気持ちになれている様に見えた気がしました。
この頃はまだまだポーカーフェイスな子だったので、こうした経験も色々な表情の表出につながったのかもしれませんね。
こういった経験から『一度失敗しても諦めない事』ですとか、『前に出来なかった事でも、時間が経てば状況も状態も変わる事』等を理解していってくれればいいな、と思った一件でした。
その他にも有能感を高めてくれた事として"ハサミの練習"や"プラモデルの組み立て"、"制服を自分で着る事"等への挑戦がありますが、それはまた別の機会にお話しさせていただく・・・かもしれません。
ぼく、できたよ!(有能感と共感性の関係)前編(生後3歳10か月)
この有能感や共感性に関する話ですが、こちらのブログに引っ越す前に書いた記事の中でも特になるべく早く書き残しておきたかった記事です。
私個人的にも息子やこうした特性について深い気付きに繋がったと思う一件ですので、良かったらお付き合い下さい。
この記事の概略なのですが、そうですね・・・例えば、
「おなかへった」
とか
「喉渇いちゃった」
って、みなさんにとってはきっと自然に感じられる事ですよね。ところが息子にはそうした感覚が掴み取りにくい特性が生まれつきある様です。
自分の体の中のステータス変化って視覚化されたものではないので、息子にとっては目には見えなくてわかりにくいのかもしれません。(ゲームの様にHPだとか体力っていうゲージが見えればいいんですけれど、なかなか現実世界では難しいかも^^; )
今日はそんな体内の変化について考察するきっかけとなった時の話です。
~地元の絵画展~
息子が幼稚園の年少の冬です。
幼稚園からあるお便りをいただいてきました。
地元のデパートで行われる絵画展の案内でした。
毎年行われているこの絵画展。
市内の幼稚園から選ばれた園児さん達の絵画を展示する企画なのですが、その展示会場内でお母さん達に向けた子ども達の絵画に関する講座なども併せて催されていたんですね。
「興味のある講座を聞いて勉強したいし、お子さん達の絵から元気をもらえるかもしれないから行ってみよう!」
と、気軽な気持ちで行ってみる事にしました。
ちなみに・・・
ウチの子は
①「表現(=他人に何かを伝える)する事がまだ難しい」
②「手先の不器用さ」
この2点から、図画工作は当時は苦手分野でしたので、当然ですがこの会場には・・・ウチの子の絵は展示されていませんでした(笑)
それでもふと行ってみたくなったのです。
『そういえば何かを表現するって、どういう事なんだろう。』
と改めて考えてみたくなったからでした。
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会場でお子さん達の絵画を見て感じたのは、やはり思っていた通り”心の中に浮かんだ描きたい何か”を上手に掴み取れるお子さんの絵は技術云々でなく惹きつけられるものがありました。
私はこうした事を”内部要求の掴み取り”と勝手に呼ばせていただいておりますが、
わかりにくい絵で申し訳ないのですが、例として日ごろ息子が苦手にしている"おなかが減った"状態を自分で気付くまでの変化を表してみました。*1
①で空腹になり、脳へ通知される
②脳が情報を受け取る(=気付く)
③言葉や行動で状態を他人に伝える
つまり、③の「おなかがへった!」と言葉にする為には、これらが全てうまく機能して初めて言葉になる様な気がするのです。
なのに息子の場合は①の脳への通知か②の脳での受け取りのどちらかに弱さがあって、なかなか言葉にならないのかなぁ?と思っています。*2
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こんな考えを思い巡らせていたその時ふと・・・こうした事って、一事が万事なんじゃないかなぁ?とも思えたんですね。空腹だけでなく、いろんな内部要求に気付きにくい事が言葉の遅れの原因かな・・・と。
もちろんこれらはお医者様の見解でなく、親として日々息子を見ていてそう感じる事であって、多くの方にも通じる事かどうかはわからない、と前置きさせていただきますね。
その上で、怒り、楽しい、辛い、熱い(温かい)、暑い、寒い、痛いなどの比較的強く激しく急激に立ち起こる感情や目に見えてわかりやすい(例えば水がはねてズボンが濡れた=気持ち悪い)事象などは比較的理解が早かったのかも?と考えたのです。
その一方で、体内の中で緩やかに湧き起る空腹や睡眠などの要求についてはじわじわとした変化ですし、目に見えないので難しいのかなぁ・・・と思い至りました。
ですから息子の様なタイプにこうした感知能力を育ててやりたいと思うなら、想像をはたらかせて理解を促す何かしらの手助け(=写真や絵本で似たような事例の説明)が必要な部類なのかもしれません。ちょうど写真を示して共感性を育んだ↓過去記事の頃の様に。
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
(絵カードを活用したコミュニケーション方法などは、こうしたタイプの子にとっては思いや感情に一致した言葉を想起するのにとても適した方法の1つかもしれませんね。)
前置きが長くなりましたが、こんな息子でしたから心に浮かんだ何かを絵に表現する事は当時の息子にはまだ難しいのかな?と当時私なりに受け止めていました。
~有能感と自己肯定感~
ところで自己肯定感を高めていく事は子どもにとって常に大事な事ですよね。
”出来ない!”の連続では
「僕はダメな子だ・・・。」
と落ち込むばかり。
普段から息子自身が自分を認めてあげられる何かを探していた当時。
この展覧会の特設ステージで行われた講座というのが、ちょうどそんな私の思いとぴったり合致し、その後の息子との関わり合い方を見つめなおすきっかけを与えてくれたのでした。
それは大橋功先生の「絵を通して知る子どもの真実」という素敵なミニ講座でした。
この時拝聴した内容を簡単にまとめますと、
~子どもにとって有能感*3はとても大事な事である。 つまり、『「ぼく出来たよ!」「私がんばったら出来たの!」と自分を誇らしく思い、自信を持つ感覚を大事にしなさい』~
こんな事をおっしゃられていました。
そしてそれは、当時はまだ中々うまく言葉にまとめられてはいませんでしたが、私自身が常々感じていた事でした。
(ごめんなさい、長くなりそうなので後編に続きます。)
*1:後で気付いたのですが・・・このイラストは既に療育を決めた時―感覚統合(2歳5ヶ月)という記事でご紹介していましたネ(T_T)情報が重なってしまい申し訳ないです。
*2:息子は4歳目前になってようやく「おなかが減った」状態がどんなものか気付く事が出来始めましたが、しかしやっぱり三つ子の魂百までじゃないですが、幼い頃に苦手な事って長じても色々な外部からの刺激によって感受出来る能力に波がある様子です。それにもっと大きくなった就学前頃には、感知した感情に一致する言葉を脳内に探し当てるリンケージ機能にも弱さがあるのでは・・・?と薄々感じる様になりました。言葉を紡ぎだすって、ホントに大変難しい我々人類ならでは特別な脳機能なんですネ。
*3:有能感って、自分の働きかけや行為によって自分をとりまく世界や環境に影響を与えられるという事を実感していく事なのだそうです。(何分もう随分前の事なので聞き洩らしていたらすみません。)
甘やかしと甘えさせるの違いとは? その4(2歳代~現在まで)
長くなりましたが『甘やかしと甘えさせるの違いとは?』シリーズ最後の記事です。
~甘やかし?甘えさせる?~
一体何が”甘やかし”でどこからが”甘えさせる”なのか?
ここまで散々色んなことを言っておきながら、それでもまだどこかで
『甘やかしはやっぱりイヤかな・・・』
なんて思う気持ちがまだ残っていた頃もありました。
じゃあ、甘やかし/甘えさせるを整理して線引きをしてみれば
自分の中で折り合いをつけられるんじゃないかなと考えました。
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結果「甘えさせる」については、
既に出来る事をたまには
「いつも頑張っているから今日はちょっと一休みしてもいいのよ。」
といつもの頑張りを認めつつ、今は頑張らなくてもいいよと受け止める事を「甘えさせる」と我が家では考えてみる事にしました。
例えば当時出来る様になったばかりの、洗髪や体洗い。
一応息子だけでも出来る様にはなっていたんですけど、まだまだ本人は四苦八苦な様子でした。*1
この様に『傍で見ていると確かにしんどそう・・・なんだけどよく毎日努力しているなぁ』と感じる事については自立心で一杯の時は自主性にまかせて、しんどそうな時はたまに甘えさせています。
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じゃあ「甘やかし」は?
う~ん、正直線引きが大変難しいです。
が、何かの能力が芽生えてきた事を感じながらも伸ばすように促さなかったり、出来る様になった事でも
「一度は出来る様になったのだからもう(努力を続けなくても)いいんじゃない?」
と本人の不断の努力への気持ちを薄らげてしまう様な事なのかな?と思います。
特に毎日の習慣や体の中心を支える筋肉については、一度出来たとしてもそれで終わりとはいかない様です(息子は筋肉の付きにくいタイプなのかなと思います)。
辛いですが少しづつでも続けていくしかない様です。
確かに苦手な能力を伸ばす事はとても疲れるし体力がいる事なので、尻込みして甘えたい気持ちはわかります。
誰だってダラダラしたくなりますよね。
そんな気持ちを受け止めつつも、少しづつでいいから土台を固めて羽ばたく練習を日々親子で積み重ねています。
しかしそれもあくまでも楽しみながら、という気持ちは忘れずに。
~新・魔法の靴~
いきなり話がガラリと変わりますが、ここからは靴の話です(^^;)
というのもこの記事を最初に書いた当時、ちょうど朝の子ども向け番組の今月の歌が靴を題材としたものだったので。あれからもう数年経っちゃいましたが、いい記念なのでこのまま載せさせて下さいね。
この記事の後に、子どもの有能感について考える記事を予定しているのですが、その中で、息子に「ボクにも出来る!」という有能感を育み、子どもの自立心を大きく促してくれる役割を果たした魔法の靴をご紹介する予定です。
当時の息子にとっては、遊びや運動とはまだ苦手意識がどこかにあり、息子にとって辛い事も多かったものでした。
ですがこの魔法の靴たちはただただ楽しいものに変えてくれた立役者。
特に初代魔法の靴に関しては、息子がとても気に入ったのでボロボロになるまで履き続けました。
靴にもそんな気持ちが通じたのでしょうか?
息子を色々な遊具に誘っては
”大丈夫、ボクは魔法の靴だから!”
とでも語りかける様に息子に遊ぶ勇気を持たせてくれました。
*********
座る姿勢を保持する為や、手と目の協調運動をスムーズにしていく為にも正しい姿勢を保持できる様に。
延いてはこの子の人生の生活の質を保てる様な体作りを・・・と考え始めていた当時。
私が息子に求めた事はまだ少々厳しかった様に思います。
特に子どもですから、いくら体に良い事でも辛い事や厳しい事ばかりでは長続きしない事は明白でした。
だから北風と太陽方式を(笑)
楽しく遊んでいるうちに体幹や筋肉をつけてやれたらいいな~って誰しも思いますよね。
靴裏のグリップ力や足首を捻らない様にしっかりと保持してくれる靴を選びました。
もちろん見た目も息子が気に入るものを。
あの当時たくさん遊んだ事で、今の息子の体の基礎が出来たと信じています。
*1:結局小学生になった頃にはお風呂関係は自立していましたし、その頃には逆に親がやってあげようとすると「自分でやるもん。」と恥ずかしがる様子もみられる様になっていました。
甘やかしと甘えさせるの違いとは? その3(2歳代~現在まで)
~評価(アセスメント)の重要性~
前回では、『しっかりと家族に受け入れられている感覚』を息子に伝えていこう決意した事をお伝えしましたね。
しかしそうはいうものの、探し始めた当初は正直どうすれば良いのか具体的な方法が検討もつきませんでした。
ですので仕方なく最初は手探りであれこれ思いつくところから始めていきました。
まずは叱らない
手始めにまずは怒らない育児であるとか、何でも出来るだけ「いいよ。」と肯定して受け入れる育児を進めてみたのです。
ところが、これが意外な事にすぐに成果が出始めたのです。*1
本当に驚くほど・・・ぐんぐんと息子が伸び始めたんですよね(^^;)
『自己肯定感や自己有能感ってつくづく大事なんだな・・・。』と、こうして成果を実感していく事になりました。*2
しかし欲を掻くと・・・
が、成果が早く出ると欲も早く出てしまうんですよね。
『そろそろ色々出来てきたんだから、ちゃんとしつけもしなくちゃ。甘やかしてばかりじゃあ本人も伸びないわよね。』と。
そうなるとついついまた「ダメ!」を口にしては息子の状態も後退し、また「ダメ」を我慢しては息子も前進するという波の様な状態を何度も繰り返してきました。
同じ状態を何度か繰り返すうちに・・・ふと思ったんですよね。
『ダメ、と言わなくちゃいけない状況に追い込んでいる自分の技術がまず甘い。それに何より、何でも”甘やかしちゃダメだ”なんて色々な事をまとめ過ぎているのでは?』
と。
息子の能力がまだ不十分なのに出来ない事を無理にさせる事でさえ”甘やかさない、厳しいしつけ”と思い込んでいたんですが、
これって単なる”無理強い”ですよねllllll(-ω-;)llllll…
無理強いに気付く
”甘やかさない”って、”無理強いする”事ではなくて、
例えば足を骨折している人に「全速力で走れ」なんて出来ないオーダーを出すとか
丸坊主の人の「三つ編みにしろ」と言っても無茶振りなだけですよね。
だから最初から一貫して「こうしなさい」とする方針ではなく、その時々で息子が出来る事(能力)を正確に評価(アセスメント)する事や、
その上で出来ない事は『今はやらない』と決める事も大事なんだなと気付きました。
ただしその時出来ない事も放置ではなくて能力の芽生えを見極めながら
出来そうな時は促していく様にしよう、と。
そして評価も都度見直せばいい。
そうすれば自然と無理強いが発生しなくなりました。
(続きます。次が最後です)
甘やかしと甘えさせるの違いとは? その2(2歳代~現在まで)
~本当にやりたかった育児~
(前回からの続きです)
息子に対して私が母から受けた育児と同じ様にしていては・・・
きっとこの子は社会人どころか学校生活も難しくなってしまう。*1
親に叱られた記憶ばかりで甘えた記憶のない私。
自分がもし子どもならどんな親がうれしいのか?
どんな事に気付いてくれたら安心出来るのか・・・?
この機*2をきっかけに色々考えました。
『いい機会だから本当にやりたかった育児や子どもとの向き合い方をきちんと見つけていこう』
そう思い立ったのです。
そして出した結論は、
社会に適応させる前に(家族という)社会に受け入れられている感覚をしっかりと感じて欲しいと思った事でした。
しつけよりも大事な事を伝えなきゃ。
たとえ甘やかしていると後ろ指をさされても。
ちゃんと伝われば、
ちゃんと軌道に乗れば、
きっといつか社会のルールを教えていける様に育つはず。
最初から厳しくする、それだけがしつけじゃないんだ。
理を教えること。
世の中には暗黙のルールがある事、又その理由を伝え、理解を促す事。
理解したルールを自分で応用していく力を身につけること。
特に模倣力の弱い息子には自力で正しいと思う事を考えて判断していく能力を育てなくちゃ。
人間としてのしっかりとした心身の土台作りをするために、しつけの前に成すべき事がある事にこの時気付いたのです。
(続きます)