甘やかしと甘えさせるの違いとは? その1(2歳代~現在まで)
諸事情でちょっと更新が滞ってしまいました(>_<;)が、
今日からはかなり大切だと思っている記事をUPさせていただきます。
それは
『甘やかしと甘えさせるの違い』
についてです。
子どもの成長を見守る中で”しつけ”について私なりに考えてきた事をまとめておきたいと思って書いた事でした。
その1~その4までありますのでよろしければお付き合いくださいネ♪
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(実は・・・しつけについて言及するのはかなり勇気が必要です。
なぜならこうした事には皆さん必ず一家言お持ちな場合が多いので、
今から述べる事は皆さんとは相容れない意見である可能性が高いからです。
なので先にお断りさせていただきますと、
もしかするとお読み下さる方の気分を害するかもしれませんし、
異なる意見に腹立たしく感じる方もいらっしゃるかと思います。
もし不快に感じる場合は読み飛ばしていただく事をオススメいたしますし、
もしご意見などをコメント下さる場合はしっかりと向き合いたいと思っています。
なので今回はあくまでも今現在の私個人の考えという事で受け止めていただけると幸いです。)
~実母の影響~
振り返ると私自身は、厳しめのしつけや家庭教育を受けてきた方だったと思います。
あまり比較する対象もありませんが、少なくとも今自分が息子にしている接し方とは大きく違います。
でもそれも最初から私と息子のオリジナルな育児を目指していた訳ではなく、まだ息子が0~2歳頃までの一番の育児の手本といえば母親の育児でした。
育児書を開く時間がない時ほど・・・母のやり方を思い出して、息子にも同じ様に対応していた時期がありました。
「ダメでしょ!」
「ダメじゃないの!」*1
すぐに私の口から出たのは母と同じでダメ出しの言葉ばかり。
そういえば・・・母はすぐに”ダメ”という言葉で子どもの動きを制限するタイプでしたので、私は甘えさせてもらった記憶がほとんど無いように思います。
”甘えるって何かな・・・?”
40歳を過ぎた今になってもその定義が曖昧なままですが、
例えば当時母に求めたかった事といえば
- 優しく頭をなでて欲しかったな・・・
- 目を見て笑って欲しかったな・・・
- 「テスト、頑張ったんだね!」ってちょっとでいいから褒めて欲しかったな・・・なんて
恥ずかしいですが当時はなかなか素直に言えなくて・・・本当はして欲しかったけどずっと自分の中に押し込めた(それこそとっくの昔に忘れ去っていた様な)感情を思い出し、こらえられずに涙が出そうになる時があります。
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話が脱線しましたが(笑)そんな厳しい母の育児を真似るとなると、すぐに”ダメダメ”と大声で強く制止・威嚇する、ただそれだけを繰り返していました。
そして当たり前ですがこんな育児はすぐに破綻しました(^^;)
※そのあたりの息子と私との経緯は”ダメ”と”おしまい”(2歳~)*2に記録しましたのでもしよろしければご覧下さい。
母が子どもに対してこんなにも厳しく接した理由の一つに、”私は女の子だったから・・・強い口調で言えば何とか丸め込めた”という理由はありそうです。*3
母は弟には甘かったのですが、実際日に日に理不尽に感じる事も大きくなっていった事もあり、とうとう
「どうして私には厳しくするの?」
ともう少し成長した中学生の頃に聞いてみました。
すると母は、
「男の子は勉強が出来なくても何かしら仕事があるでしょう。だけどあなたは厳しくしておかないと仕事にありつけなかったらどうするの?」
と返されました。
当時はまだバブリーな(余波の残る)時代でした。
弟に甘い理由は『男の子なら色々な職種や働き方があるので選ばなければ何とか生きていけるでしょ』という考えだったのかなと思います。
私に対して厳しいのは、要は家庭に入っても仕事に就いても私が困らないように厳しくしつけている、という答えのようでした。
(まぁ、確かに小学生の頃から夕食の支度をさせてもらっていた事は今に生きていると感謝しています。)
しかしこんな母との会話をふと思い出し、
『あー、これは見習ってはいけなかったんだヮ。』
と思いなおしたのです。
(続きます)
*1:過去にお話しさせていただいているかもしれませんが、大切な事ですのでまた言及させていただきますと、この「ダメじゃないの」は特に気になるお子さんに対しては要注意な言葉です。
「ダメじゃないの」と聞くと、ダメだよとかいけませんよといった意味で捉える方が多いと思いますが、自閉圏内の方にはイントネーションや抑揚で意味が変わってしまう事や聞いただけ(つまり口頭指示)では反語の意味が理解し辛い事もありますので
「ダメじゃないの」=「ダメ、じゃないの」=「やっていいよ!」
と、何とも前向きな言葉として受け止めてしまう場合があります。(実際うちの子も同じ経験があります。かなり言語理解の進んだ状態になってきたなぁと実感した頃でさえもこの手の会話の場合はこちらの希望する行動とは正反対の行動をとったり、本人も自分でもおかしいなと思う場合は「どういう意味?」と聞き返してくる事がよくあります。)
使う場合は相手の反応をよく確認しながらどちらの意味で受け止めたのかを気にしていただけると幸いです。
*2:先日UPした際には「『癇癪泣きの事』という記事に書きます」、とご案内させていただいたのですが、正しくは『”ダメ”と”おしまい”(2歳~)』でした。『癇癪泣きの事』では「ダメ」などの言葉によってパニックを起こした場合の対処法についての記事を書く予定です。よかったらこちらもご覧ください。
*3:これもどこかで書いたかもしれませんが、当時既に母は知らない間に大病に侵されていた状態だった事もあり、正直なところ私に手を掛ける事が出来なかったのだろう・・・あれは致し方のなかった事なのだと今は思っています。
どうにかこうにか七五三(3歳8ヶ月)
~準備完了~
今からもう何年前の事ですが、
数年前の秋、息子が幼稚園年少の11月の事です。
運動会を無事に終えおしゃべりの練習をしている最中、私と言えば子どもが幼稚園の間は七五三の裾上げに追われていました。
絹ってツルツルして縫いにくいんですネ(>_<)
かなり必死に取り組んだハズなのですが、なかなかステッチが進まないんですよ・・・。
その当時はあまりに必死に縫っていたものですから、うっかり自分の手の汗で着物を傷めてしまわないかと余計に冷や汗したのを覚えています。
何日もの間、家事もそっちのけでどうにかこうにか被布の肩上げも済ませ、後は本番を待つばかりとなりました。
~201?年11月15日 快晴~
当日はお天気に恵まれました。
(息子は早生まれなので、七五三は同じ学年のお子さんよりも一年後に執り行いました。)
ずっと幼い頃から通った地元の神様へお参りに。
子どもと数回事前に下見へ来た甲斐もあり、当日息子本人も至ってリラックスしていました。
神社へは電車で。
本人は大好きな電車、という事で嬉々として乗り込みました。
動きにくい着物のおかげか、ホームでも車内でもいつもの様に走り出す事もなく落ち着いていました(^^;)
「あっち。自動販売機がある。」
この記事を書く為に当時のビデオをふりかえってみておりましたら何やら当時の息子の声が。
今から思うと言葉がとても幼く聞こえました。
当時はまだまだおしゃべりもたどたどしく、まだ2語文が中心だった様子がうかがえます。
このあとご祈祷いただき(途中おしゃべりをしてしまったり、多少立つ事はありましたが)何とかつつがなく七五三を無事終える事が出来たのでした。
思った以上にスムーズに済んだ七五三。
長い準備の間、出来るだけ息子にその様子を見せておいたのが良かったのかな?やっぱり事前予告だとか予測させる事は大事だな~と感じた件でした。*1
母としては時間をかけて進めてきた事がやっとひと段落ついてホッとした、という一件でした。
しかしあれから随分時間が経ったものです。
”こんな事も出来る様になったんだなぁ”と当時感じた事が昨日の様です。
*1:って、これで大丈夫と思ってしまったからか・・・この2年後の5歳の七五三は大失敗に終わったのですが、それはまたその頃の記事で書かせて下さいネ(^^;)
開封動画から学んだ事(3歳8ヶ月~)
~〇〇チャンネルです~
「はい、○○チャンネルです。
今日はこちら、”■■メダル”を開封していきたいと思います。」
前回、幼稚園でのお友達とも交流をきっかけに、息子が何やらお友達とおしゃべりをしたいと思い始めた事をご紹介しました。
しかし当時の練習法は一般的というよりも少し変わったものでした。
というのも・・・youtubeの動画を丸覚えしておしゃべりの練習を始めてしまったのです。
しかも当初は早口で同じセリフばかり繰り返す状態。
・・・エコラリアというのでしょうか。
その場でも同じセリフを言い、動画を見ていない時も(暗記しちゃってましたので)同じセリフを何度も何度も繰り返していました。
ま~~~~~、
賑やかでした(笑)
家の中はいつも息子の独り言で大賑わい。もともと家庭では多弁な様子をご紹介済みですが、それに更に輪をかけた毎日になりました(^^;)
~只今習得中~
当初は動画丸写しの音声を繰り返す様子に、
「傍で聞いていて面白いな~」
程度にしか感じていませんでした。
しかしそれが不思議なもので、数日もしない内にセリフが変化していくのです。
息子は次第にこんな工夫やアレンジを試みる様になったのです。
この当時より少し先の事になりますが、この後3歳11ヶ月頃に”なぜ?”、”なに?”、”どれ?”といった疑問形を使いこなせる様になったのですが、そうした理解への始まりがこの言葉の使いこなしからだったのだろうと思います。
なぜ?なに?どれ?など、疑問文は”なぜ”の部分に具体的な内容を入れ替えるという処理ですよね。
今回の開封動画の真似を通じて、そうした基本的な言葉の操作法を理解していき、
それが数ヶ月先の疑問文への理解へとつながったという訳です。
~開封動画の良かった点~
色々な開封動画のタイプがあるのですが、主に息子が好んで見ていたチャンネルは以下の様な特徴がありました。
(1)顔出ししていないので、目や表情に気を取られない
(2)カメラの向きがおもちゃに固定されていて、あたかも自分がおもちゃを開封している気分になる
→語り手さんと同じ目線でおもちゃを見られるので感情移入しやすく、「うわー、ダブった!」とか「やったー」といった感情を自分の感情の様に感じられた様です。感情への理解や吸収が一気に進みました。
(3)難解な言葉遣い
→これまで私自身は”仕様”とか”塗装”とか、3歳にこんな言葉や概念は難しすぎて伝える必要はないと思っていましたが息子は違った様です。
『おもちゃそれぞれに違う動きをする様に作り変えられている事を何と表現すれば良いだろう?』→『これを”仕様”と言うのか!?』といった具合に、日々感じていた疑問にしっくりとくる答えを与えられたかの様にどんどん吸収し、言葉の使い方に自信を持っていった様です。
(4)ドーパミンの大洪水
→ガチャガチャとか、開封って中身はある程度限定されていて、その中で”何が出るか、おたのしみ”という楽しみ方なんですよね。
『来る・・・来る・・・来たーーーーー!!!』
という、予測や予測が現実になる楽しみに強く興奮するタイプの息子にとって、こうした開封しながらの予測はこの上ない喜びをもたらしたようです。傍から見ていてもドーパミンだかアドレナリンだか、よくわかりませんが尋常じゃない興奮度でした(笑)
幼稚園入園の頃はまだまだ物心がついていない、と以前書かせていただきましたが、幼稚園のお友達とのやりとりや開封動画を貪る様に閲覧していく時期を経て息子の自我や物心といった精神面が一気に覚醒していきました。
とまあこんな風に開封動画には色々な良い面がありました。
当時はまだ息子自身TVを積極的に見たがる事がなかったので、まさか動画が好きだったとは・・・と新鮮に感じたのを覚えています。
とにかく当時の本人にとっては良い影響ばかりだったので、私も自分の遊びに誘うのは少し控え、一緒に動画を楽しむ日々が続きました。
~ガチャガチャを遊びに取り入れてみた~
4歳ごろまでは本物のガチャガチャでなければ楽しめなかった息子ですが、それよりもう少し成長すると見立ての力が備わり、手作りのガチャマシーンで遊べるようになりました。(幼稚園の年中~年長の頃によく遊んだおもちゃの一つとなりました。)
ネットを検索すると、世の中には素敵なお父さんお母さんがたくさんいらっしゃるもので、ガチャガチャマシーンを手作りで作っておられるんですね。作り方も公開して下さっていたので、早速我が家でもまねて作ってみました。(道具と材料さえ揃っていれば案外簡単で、2~3時間もあれば十分作れます。)
ガチャの中身もその時々によって変える事が出来ますので、ヒントや折り紙などは手先の練習も兼ねてあえてハサミを使う仕掛けにしてみたり、糊で貼っておいてわざと破かせてみたりと、色々な経験を伝えていけるように工夫して遊んでいました。
一番良く使ったのが子どもが幼稚園に出かけている間に家じゅう至る所にアンパンマン人形を隠し、そのヒントをガチャの中に仕込んでおくという遊びでした。
色々な所に注意を向ける練習に、と始めた遊びでしたが隠す私の方が必死になるくらい2人で熱中した遊びになりましたョ。
上手にお話ししたい!(3歳8ヶ月~)
少し間が空いてしまいましたが、今回も前回と同様、運動会で影響を受けた事の続きになります。
~帰宅後の変化~
運動会でのお友達との交流を通じ、
”お友達とおしゃべりしたい”
なんとなくそう思い始めた息子君。
日々の中で大きな変化が現れ始めました。
幼稚園からの帰宅後、「一緒に遊ぼう」と私からおもちゃ遊びに誘っても何だかあまり乗り気じゃない日が続きました。
”きっと一人にして欲しい時もあるよね。”
そう思い、息子の帰宅後は少しそっとしておくことにしました。で、幼稚園グッズの片付けなんかを優先していたんですよ。
すると・・・妙に静かなんですよね、おかしい位に。
良く見ると、息子は部屋の片隅で私の充電中の携帯で何やら動画を見ていました(-"-)
まぁ、動画を一緒に見る事は今までにもたびたびあったので動画を見る事自体はそんなに驚きませんでしたが、内容に少し驚きました。今までに見たことがない様なジャンルだったんですよね。
当時息子はちょうど『妖怪ウォッチ』という妖怪を題材にしたアニメのキャラにハマりはじめた頃でした。
ちょうどこの少し前に
let-me-pick-you-up.hatenablog.com
という記事でご紹介した通り、見えない何かという概念に気付き始めた頃だったのですが、そうした事が重なってか、少しづつ妖怪への興味を持ち始めていた様なんですね。
そこへ幼稚園でもお友達が妖怪のキャラや名前を話しているのを聞き、帰宅して、ふと私の携帯を見ると・・・何やら面白そうなおもちゃの動画が目に飛び込んでくる・・・
この日から、息子はこの開封動画にどっぷりとハマり、一言一句丸暗記するという驚異の方法(笑)で会話の練習をし始めたのでした(^^;)
実りの秋~運動会の収穫~(3歳8ヶ月~)
~運動会の影響~
前回書きました年少の運動会で、思いもよらなかった事が2つありました。
1つ目は、ある競技で息子が思いもよらぬ反応を示した事です。
まだこの頃は勝ち負けの意味もあまりわかっておらず、
誰が勝とうが負けようが我関せずの息子君でした。
ところがとある競技で酷く癇癪を起こして泣き始めたのです。
それは”玉入れ”でした。
他人との競争での勝ち負けではなく、自分が投げた球がカゴに届かない事に憤慨したらしく、先生に泣きついてカゴの先を指差しながら必死で届かない事を訴えていました(笑)
”この子にもちゃんと悔しい気持ちがあったんだな。”と思えてこの時は妙に安堵しました。*1
この悔しさをうまく利用して、次の春の運動会では玉入れの練習を事前に家庭で取り入れて『練習すれば出来る』という意識をつけてあげたいな、と思った次第です。
そしてもう一つの影響は、(実はもう少し時間が経過してからはっきりわかった事ですが)どうも私以外の誰かとおしゃべりをしたいと思い始めた様なのでした。
運動会で優しく声掛けしてくれたクラスメイトたちの事。
どうやら運動会を通じて近くに居てくれる他者に気付き、興味を持ち始めたのでした。
一方、そうとも知らず急速に冬に向かって寒くなる日々に、
当時私は家遊びの準備に勤しんでいた記憶があります。
「よ~し、どんな遊びだったら乗ってきてくれるかな?」と毎日の帰宅後の遊びの為に、息子が帰るまでにあれこれ仕込みを進めていた当時。
※冬は手先の動きの強化や想像遊びを進めて行こうと、息子が大好きなおもちゃシリーズで役に立ちそうなおもちゃを密かに購入していました。(不器用でもごく簡単な組み換え遊びの出来るおもちゃなんかが多かったです。)
『さぁて、これで息子くんと遊ぶぞ~』なんて意気込んでいた私は、この後起こる出来事に少し肩透かしにあった様な、そんな状況へと突入していくのでした。
*1:5歳を過ぎた頃には逆に何に対しても勝ち負けにこだわる気質がはっきりとしすぎていて、負けを受容させていく事を少しづつ覚えさせている過程にあります。この玉入れの件が負けや出来ない事を悔しく思い、誰かに伝えようとした最初のエピソードかもしれません。